1970年代の大阪キタの映画館
下の地図は、雑誌「ロードショー」1972年6月号に折込で掲載された加藤義明氏による「イラスト シネマップ 大阪」のきたの部分を、私が少し加工したものです。
中学・高校時代の私は、映画をロードショーで観る場合、当時の自宅から近い大阪ミナミの映画館でというのが通常でした。たまにキタの1館でしか上映されない作品があれば梅田まで観に来ていましたが…。三番街シネマ1・2・3やシネラマのOS劇場、梅田東映を除き、この地図に載っている映画館の多くには一度も入ったことはありません…。でも梅田に来ることがあれば、これらの映画館の前を通ることはしばしばあったのです。そんな訳で、そこはかとなくノスタルジィがあるので、今回は大阪キタの古い映画館の情報を、まとめて掲載しま~す。
1973年現在の大阪北区(と上六)の洋画ロードショー館の所在地↓
↑映画雑誌「ロードショー」1974年2月号付録「映画手帳 1974」の“データ 1974”の9頁より。阪急プラザ劇場の「小深町」という町名は1978年に「芝田」に変更になったようです。
1977年1月、OS劇場では「キングコング / King Kong」(1976)、三番街シネマ1では「ラストコンサート / Dedicato a una stella / The Last Concert」(1976)、三番街シネマ2では「愛のコリーダ / L'Empire des sens / In the Realm of the Senses」(1976)と「卒業試験 / Es war nicht die Nachtigall」(1974)の二本立てを上映中
よい子の皆さんの好みの映画はどれかしら~?
1976年10月、阪急プラザ劇場では「オーメン / The Omen」(1976)を上映中
この映画館は、阪急三番街北館1階にありました(1984年5月31日に閉館)。その後ここに、KIDDY LAND(キディランド)と上新電機が出来たんですよね(?)。
1976年3月、ニューOS劇場では「爆走トラック'76 / White Line Fever」(1975)を上映中。ジャン=マイケル・ヴィンセント(ジャン=マイケル・ビンセント Jan-Michael Vincent 1944 - 2019)はヌード写真も有名ですよん。
ここ↑は阪急ファイブに行くたびに、横を通ってました。
1977年11月、閉館が近づくアート・シアター 北野シネマ↓。1977年ATG作品「西陣心中」を公開中。同時上映は日活映画「東京チャタレー夫人」(1977)。この映画題、憶えてますわ~。
旧・北野劇場、1977年1月「カサンドラ・クロス / The Cassandra Crossing」(1976)を上映中
この映画、多分にご都合主義的ですが、とても楽しめる映画でした~。
「がんばれ!ベアーズThe Bad News Bears」(1976)を公開中の旧・梅田スカラ座(1977年1月撮影)↓。
私は1963年生まれなので、同い年のジョージ・マイケル、ホイットニー・ヒューストン亡きあと、同学年テイタムにはぜひ長生きしてもらいたいですわ~。ジュールス・ダッシン(ジュールズ・ダッシン Jules Dassin)監督(1911 - 2008)の「テータム・オニール レッスン・イン・ラブ / Circle of Two」(1980)は 、あんなにいい映画だったのに日本劇場未公開のままなのが、とっても残念です!
1976年5月、梅田スカラ座ではルネ・クレマン(René Clement 1913 - 1996)の最後の映画「危険なめぐり逢い / La Baby-Sitter / Babysitter」(1975)を上映中(駄作よね?)。梅田劇場の看板の下には三浦友和・壇ふみ出演、1976年の東宝映画「あいつと私」のポスターが見えます。
右端にある「⇐三番街シネマ2」の看板には、リバイバル公開のティモシー・ダルトン版「嵐が丘 / Wuthering Heights」(1970)のポスターと “前売券発売中 近日ロードショー”の文字が読み取れます。その左横はカルト宗教団体のプロパガンダ映画だとか…。触らぬ神に祟りなし~ョ。
1977年8月、梅田地下劇場では「ザ・ディープ / The Deep」(1977)
ジョン・バリー(John Barry 1933 - 2011)の音楽が気持ちよかったですよね。
こちら↓はちょっと古い時代、1965年の旧・梅田劇場前の写真。梅田地下劇場の看板も見えます。東京オリンピック…の映画?
え~っと、確か監督は河瀨直美さんでしたかね?五輪反対デモに参加しているという男性が「実はお金をもらって動員されている」と打ち明けたんですって!?責任者、出てこいや!!
下↓の画像は2022年7月放映、公共放送のあるテレビ番組内で映し出された写真からのものです。公開中の映画から1967年1月の撮影だとわかります。一番左奥に、梅田コマ・スタジアム(梅コマ)も写っています。北野劇場では「パリは燃えているか / Paris brûle-t-il? / Is Paris Burning?」(1966)、梅田スカラ座では「おしゃれ泥棒 / How to Steal a Million」(1966)、
梅田劇場では、1967年の東宝映画「喜劇 駅前満貫」「社長千一夜」の二本立て、梅田地下劇場では「続・黄金の七人/レインボー作戦 / Il grande colpo dei sette uomini d'oro」(1966)を上映中。当時の活気が、なんとなく伝わってきませんか?
1977年8月、阪急交通社・阪急航空ビル奥の、映画館街
北野劇場では「ジェット・ローラー・コースター / Rollercoaster」(1977)、梅田スカラ座では「白い家の少女 / The Little Girl Who Lives Down the Lane」(1976)を上映中。阪急交通社の左の壁に見える「サスペリア / Suspiria」(1977)の文字は、阪急プラザ劇場の看板だと思われます。
その十日ほど前の素敵なカラー写真をツイッターに掲げている方がこちらに↓:
https://twitter.com/hakidamevideo/status/1595218936278450176
↑「サスペリア」「白い家の少女」1977年の東宝映画「HOUSE / ハウス」「泥だらけの純情」「八甲田山」の看板が並んでいます。ありがとうございます!
上のツイートの写真の源は、たぶんこちら↓だと思われます。
https://www.youtube.com/watch?v=I7_M1NdSNGY
あの頃大阪 1977年頃の梅田や道頓堀辺り
1978年2月、梅田劇場には東宝映画「女王蜂」(1978)の大きな看板が…。阪神交通社・阪急航空ビルはすでに解体されました。
この後、北野シネマ・北野劇場・梅田スカラ座・梅田劇場・梅田地下劇場のあった梅田東宝会館も解体、新ビルが建てられることになりました。そして2年数か月の後、1980年10月24日(金)にナビオ阪急オープン。その8階に新「北野劇場」「梅田劇場」「梅田スカラ座」の3つが開館しました。
こちら↓に、当時の毎日新聞記事をアップして下さってます。ありがとうございます!
http://jca.my.coocan.jp/kabuki/news/nwsppr3/kiji02/5189KB.htm
変容する“キタの興行街” 大阪 五つの映画館、来春取壊し
1977年7月、少し離れた梅田グランドでは「遠すぎた橋 / A Bridge Too Far」(1977)を絶賛上映中。
翌8月からは「エクソシスト2 / Exorcist II: The Heretic」(1977)になりますよ~。乞うご期待!!
こちら↓はこの記事トップの地図と同じ場所の、数年後のイラスト・マップです。
(株)有文社発行・プレイガイドジャーナル編著「大阪青春街図'76」より
人は「ジジババのバラ色回顧」と呼ぶかもしれませんが、この頃は、現在よりは確実にマシな時代でしたよね~?
*記事中の画像 “RS劇場めぐり” シリーズは、雑誌「ロードショー」1977年2月号~1978年2月号の中の6冊の各最終頁から、私自身が取り込んでアップしたものです。
大阪ミナミの映画館に関しては、こちらをどうぞ↓。
1970年代~1980年代 大阪ミナミ の 映画館
https://k0nta.hatenablog.com/entry/2020/09/11/235552