前回、南街劇場に関連したことをちょっと書きましたが、それで懐かしい気持ちになりその後、昔の映画館について色々検索しました。思ったより当時の写真はネットにないのですね。デジカメやスマホ発売前の時代、今現在のように何でも気軽にカメラに収めることは、当然ありませんでした。写真を撮っても人物中心で、建物だけを一般人が撮るというのは少なかったように思います。
それで、持っている古い雑誌などを調べて、いくつか当時の映画館の写真を見つけましたので、今後何回かにわけて掲載したいと思います。思い出に浸れるかもしれません。
写真掲載の前に今回はまず、当時のミナミの映画館所在地の全体像を、簡単な地図でどうぞ!下のイラストは、雑誌「ロードショー」1972年6月号に折込で掲載された加藤義明氏による「イラスト シネマップ 大阪」のみなみの部分です。1972年(昭和47年)5月13日の有名な千日前大火災以前に描かれたものらしく地図の中にまだ千日デパートがあります(地下に、恐怖の地下室だって…)。大劇名画座の右手に「サタン」というお化け屋敷のような絵が見えますが、こんな娯楽施設(お化け喫茶だったとか…)があったとはまったく知りませんでした。すぐに潰れてしまったのでしょうか?矢印は千日会館と大劇の間に伸びていますので、そこに「サタン」があったのですね。
この地域で、私が行った映画館は、地図の上から下の順で言うと、
戎橋劇場 (戎橋北詰キリン会館4F)
道頓堀ピカデリー → 道頓堀浪花座 (1980年の早春ごろに館名が変わったようです。)
道頓堀東映パラス
千日前スバル座
千日会館 (PALAIS OSAKA パレ逢坂ビル地下)
千日前国際劇場
東宝敷島
大劇名画座 (千日前筋大劇ビル4F)
南街文化 (南街会館6F)
南街スカラ座 (南街会館6F)
南街シネマ (南街会館3F)
南街劇場 (南街会館1F)
千日前セントラル
でした。
1973年末頃の大阪のロードショー劇場の所在地↓。映画雑誌「ロードショー」1974年2月号付録「映画手帳 1974」の“データ 1974”の9頁より。
「なんば大劇場」「なんばロキシー」という映画館があったのですね。千日前辺りが「河原町」という地名だったというのが興味深いです。1982年?に名称変更になったとか…。
下↓は南海線の難波駅の南海会館の写真です。写真左手が(ここには写っていませんが)南街会館側になります。阪神高速道路ができる以前ですね。
南海会館の西側の壁に「なんばロキシー」「なんば大劇場」「なんば邦映」らしき文字が読み取れます。これらの映画館は、難波駅の改造工事に伴い1973年に閉館されたそうです。
この下の地図は雑誌「エルマガジン / L magazine」 1986年2月号に掲載された「えるまがCITYマップ」なんばの一部分です。千日会館の場所が間違っていますね。正しくはもうひとブロック下の、マクドナルドの地下になります。上のイラスト地図から10年以上経って、かなり変化が見られます。戎橋のキリン会館4Fにあった戎橋劇場は1986年3月に閉館されました。
これらの他に、映画館ではないですが、なんばCITY シティ・スタジオ、なんばCITY グリーン・ホール、なんばCITY メディア・スタジオで、渋めの映画の自主上映会が開かれていました。私は
1981年3月、「俺たちに明日はない / Bonnie and Clyde」(1967)(無料 なんばCITY シティ・スタジオ)やヴィスコンティの「異邦人 / Lo straniero」(1967)の上映会(¥500 なんばCITY グリーン・ホール)
1984年3月、「処女の生血 (ブラッド・フォー・ドラキュラ) / Blood for Dracula」(1974)と「地球に落ちて来た男 / The Man Who Fell to Earth」(1976)の2本立て(¥600 なんばCITY メディア・スタジオ) - <ルードウィヒ上映会Vol.7>
1984年6月、「フェリーニの道化師 / I clowns」(1970)と「アポロンの地獄 / Edipo Re」(1967)の2本立て上映(¥600)と、引き続き同日に開催されたパゾリーニの「奇跡の丘 / Il vangelo secondo Matteo」(1964)の上映会(¥400)(どちらも なんばCITY メディア・スタジオ) - <ルードウィヒ上映会Vol.9>
に行きました。どんな映画好きの方が企画されていたのか、興味深いです。
大阪キタの映画館に関しては、こちらをどうぞ↓。
1970年代 大阪キタ の 映画館
https://k0nta.hatenablog.com/entry/2023/03/13/141408