Kontaの歓びの毒牙

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大毎地下劇場 その5 名画の殿堂 西梅田 毎日大阪会館南館地下

 大毎地下劇場、1993年3月閉館時の新聞記事の情報をいただきましたので、掲載しま~す。

その情報源はこちらの素晴らしいHPです↓。ありがとうございます。

https://hekikaicinema.memo.wiki/

↑「消えた映画館の記憶」の近畿地方大阪市北区大毎地下劇場の項を参照してください。

 

毎日新聞大阪本社、毎日大阪会館北館、毎日大阪会館南館

 

以下は1993年(平成5年)3月26日(金曜日)、大阪版朝日新聞朝刊の記事より。()内の文は私の脱線です。

 

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名画上映 35年 歴史に幕

 

 大阪を代表する名画座として、多くの映画ファンや映画人を育ててきた北区・堂島の大毎地下劇場が(1993年3月)28日、35年の幕を下ろす。名物支配人として知られた高橋三郎さん(73)も、半世紀を超す映画人生にピリオドを打つ。

 

大毎地下劇場

 

(1968年(昭和43年)の大毎地下劇場入場券売り場↓ フリー・ペーパー「月刊島民 中之島」Vol.53 2012/12/1 号 (特集:中之島キネマ通り) 6~7頁に掲載された写真より)

(「昼顔 / Belle de jour」(1967) と「太陽のサレーヌ / La grande sauterelle」(1967)の二本立てを上映中 当時は皆さん、ちゃんとした格好をしてお出かけだったんですね~。)

 

(どなたかがTwitterにアップして下さっていた新聞広告画像↓。以前に画像保存して、この記事にリンクを入れようと、そのつぶやきを探しましたが、今回見つけられませんでした。すみません…無断で使わせていただきますね~。ありがとうございます。)

(1968年に30日が土曜日に当たるのは3月と11月なので、ひとつ上の大毎地下劇場の入場券売り場の写真撮影は、そのいずれかの時期だと思われます。)

 

名物支配人高橋さんも「勇退

 

「黄金の腕 / The Man with the Golden Arm」(1955)

 

 劇場は1958年に毎日大阪会館南館の開館とともに、大映の封切館としてオープン。2年後(*注釈参照)にはフランク・シナトラ主演の「黄金の腕」など洋画二本立ての名画座に衣替えした。入場料は大人80円、学生60円、小人50円。4日ごとに作品が替わるのと、安い入場料が、映画好きの若者たちの人気を呼んだ。

 

(この通りを南に進んで大毎地下劇場へ…)

 

 高橋さんは17歳でPCL映画(東宝の前身)の大阪出張所に就職。戦後、東宝、新東宝と移って、配給の仕事を覚えた映画人だった。

 

「ファンタジア / Fantasia」(1940)

 

 55年に大映洋画部へ移り、ディズニー映画「ファンタジア」「砂漠は生きている」などを紹介した。そうこうしている間に労働争議。倒産した大映の後始末を済ませてからは「映画を忘れたい一心」で、旅行会社やメガネ販売会社で働いた。しかし、大毎地下劇場の支配人が病気で倒れたため、その代役で79年、映画界に復帰した。

 

「砂漠は生きている / The Living Desert」(1953)

 

 「隠居仕事のつもりで引き受けたが、十代半ばで飛び込んだ世界。いつの間にかとりこになっていた」。しかし時代の流れには逆らえない。周辺の再開発で、劇場の幕を下ろし、本社に戻る人たちも含めて、映写技師ら16人の従業員と共に、去ることになった。

 

(大毎地下劇場、最後の上映映画「天井棧敷の人々 / 天井桟敷の人々 / Les enfants du paradis」(1945)はマルセル・カルネ監督作品。下の写真は向かって左から女優の谷洋子(1928-1999)、マルセル・カルネ(1909-1996)、そしてカルネの愛人だった男優ローラン・ルザッフル(1927-2009 谷洋子の当時の夫)。)

(Yōko Tani, Marcel Carné et Roland Lesaffre à l'Aéroport d'Orly 1956)

写真↑は雑誌「映画の友」1956年9月号36頁より 1954年の映画「われら巴里ッ子 / われら巴里っ子 /  L'air de Paris」は監督カルネがルザッフルへの愛を形にしたゲイ映画と言えるでしょう~。現在カルネとルザッフルはパリ・モンマルトルのサン・ヴァンサン墓地で、同じお墓に眠っているそうですよ~ん。死んでも一緒~!)

 

パリの「赤いバラ」といわれた女

(右下のスチール写真は谷洋子とローラン・ルザッフル夫妻が来日して出演した1956年の東宝映画「裸足の青春」)

 

(Edward Baron Turk 著「Child of Paradise - MARCEL CARNÉ AND THE GOLDEN AGE OF FRENCH CINEMA」(1989) (評伝マルセル・カルネ)の書評 雑誌「朝日ジャーナル」1989年5月19日号75頁より↓ )

(“なおカルネの同性愛とそれが作品に及ぼした影響を論じた部分は卓見。”)

Child of Paradise: Marcel Carné and the Golden Age of French Cinema

MARCEL CARNÉ ET L'ÂGE D'OR DU CINÉMA FRANÇAIS 1929-1945

 

 最後のプログラムは、劇場ができた58年、キネマ旬報外国映画部門で1位になった「天井桟敷の人々」と、名画座に衣替えした60年(*注釈参照)に8位になった「勝手にしやがれ / À bout de souffle」(1960) 。ともに、映画史に残る名画である。

 

支配人が最後に観たかったのは「仕立て屋の恋 / Monsieur Hire」(1989)

(知人のフランス人の話によると、ミシェル・ブラン Michel Blanc ってゲイなんですって~。特にアジア人の男が好みだとか…。)

 「内証やけど、僕が最後に見たかったんは「仕立て屋の恋」やってん」と高橋さん。去り難い映画への思いを隠して、最後は「勝手にしいな」とほほ笑んだ。

 


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旧・毎日新聞大阪本社前を歩く人々

この先の地下に、かつて大阪を代表する名画座があったんですわ~。

 

今はなき毎日大阪会館北館・南館

↑フリー・ペーパー「月刊島民 中之島」Vol.53 2012/12/1 号 (特集:中之島キネマ通り) 7頁に掲載された写真より

*注釈:大毎地下劇場の名画座への転向時期は、上の朝日新聞の記事では、1960年(つまり昭和35年)ということですが、雑誌「バラエティ」1982年2月号47頁の ‘名画座ガイド 大毎地下劇場’ の記述では、“(昭和)36年より、洋画専門の名画座に転向”とあります。S36年は1961年です。

 この記事トップにリンクさせていただきました「消えた映画館の記憶」においても

“1961年6月26日、大阪市北区堂島1-49の「大毎地下劇場」が大映封切館から洋画館に転換した。経営は大映興行。”「映画館ニュース」『キネマ旬報』1961年8月1日号、291号

となっていますので、1961年(昭和36年)が正確なデータだと推測されます。

 

 (おまけ) 谷洋子出演の「金星ロケット発進す / Der schweigende Stern / Milcząca gwiazda / The Silent Star / First Spaceship on Venus」(1960)は東独・ポーランド合作のSF映画。 日本で発売されたVHS(94分 ポーランド語版)とDVD(78分 英語版)では編集・話が異なります。

中学1年の時、天王寺辺りの本屋をあちこち探し回って入手した本「SFファンタジア ② 時空編」(1977 学習研究社) の1頁目に上の写真が載っていました~。

金星ロケット発進す [DVD]

 

この記事は、
大毎地下劇場 その6 名画の殿堂 西梅田 毎日大阪会館南館地下

https://k0nta.hatenablog.com/entry/2023/03/24/171809

に続きます。