Kontaの歓びの毒牙

映画と音楽が大好きです。ホームページ KONTABLOID はこちら http://www5d.biglobe.ne.jp/~ktabloid/

松任谷由実 ユーミン ジャニー喜多川の性加害を、大いに笑う

 松任谷由実 (ユーミン 荒井由実 呉田軽穂) が、大阪毎日放送のラジオ番組「ミュージック・マガジン ユーミンと60分」(1981年10月23日 金曜日 オン・エアー)の中で、ジャニーズ事務所の性加害問題の噂に触れ、それをネタに大爆笑しています。

座談会参加者:松任谷由実 マルチ・タレントの松本和子 大学生数名(全員女性)

 

 

松任谷由実:「あたしね、面白いことがあるわけ。あの某ね、某ランラン歌手の男の子とさ~、あの、その子のゲストで出た時にさ、同じ事務所 (註:ジャニーズ事務所) だったわけ、あの辺 (註:近藤真彦田原俊彦) と…。それで、ほら、とかく男同士の噂とかがある、その辺のことを訊いたらさ~、“かわし方”が上手かったね~。」

発言者:「何だって?」

松任谷由実:「その辺の“かわし方“が…。ちょっと、あんまり具体的に言うと問題あるんだけどね…。」

発言者:「そういうのって、教わるのかな?」

発言者:「生活の知恵か…?」

松任谷由実:「なんか、あやしい雰囲気はしたね。」

発言者:「そうだね~。」

松任谷由実:「本人同士というより、やっぱり上 (註:ジャニー喜多川) からあやしいみたいな…。」

発言者:「絶対そう思う!キャハハ」

参加者一同:(キャー)

松任谷由実:「恐いね~。摘み取られる少年!!」(大爆笑&大はしゃぎ)

参加者一同:(キャー)

発言者:「鳥肌が立ってきちゃった。」

松任谷由実:「いいね~、その辺の少年愛の…。」(大爆笑)

発言者:「だからみんな雰囲気、似ちゃうんだろうね。なんか…。」

松任谷由実:「うん。」

発言者:「はぁ~。」

 

なのだそうです。1981年の段階で、松任谷由実はもう、ジャニーズ事務所の性加害問題の闇には、かなり良く通じていたようです。

 

田原俊彦の「銀河の神話」(作詞:吉田美奈子 作曲:呉田軽穂 編曲:松任谷正隆)他、ジャニーズ事務所には儲けさせていただきましたぁ~。ジャニーさんに感謝!「メリー(メリー喜多川)さんとかを、フジマリ(註:藤真利子)があたし、紹介してもらって、あの、皆でご飯食べに行ったりしたこともよくあったな~。 」

山下達郎君も言ってるけど、芸能界ではお金になる「ご縁とご恩」が一番!性被害?

「恐いね~。摘み取られる少年!!」(大爆笑&大はしゃぎ)

 

松任谷由実にとって、未成年の性被害も、単なる笑い話でしかないようです。やさしさにぃ~包まれたならぁ~♪

 

 

こちら↓に、松任谷由実松任谷正隆の“まんまパクリ”にショックを受けた方の記事が…。

https://ameblo.jp/eight-tree-yagi/entry-12733393906.html

 

権力大好き!松任谷由実デヴィ夫人 

スカルノ第3夫人さん、ジャン・コクトー(Jean Cocteau 1889 - 1963)とジャン・マレー(Jean Marais 1913 - 1998)が知り合ったのは1937年で、マレーが23歳の頃ですよ。未成年に性加害していたジャニー喜多川をなぞらえるのは全くの不適切です。「ジャン・マレー自伝 美しき野獣 / Histoires de ma vie」(1975)でも読んで。出直されたらいかがかしら?フランス語、お得意なんでしょう?

美しき野獣―ジャン・マレー自伝 (1977年)

 

 

このシリーズは続きます。

次回予告

松任谷由実が、大阪のラジオで夫・松任谷正隆の弟、松任谷愛介の恋人をボロカス!」

 

大毎地下劇場 その6 名画の殿堂 西梅田 毎日大阪会館南館地下

 その5に引き続き、大毎地下劇場閉館時の新聞記事を掲載いたします。その情報はこちらのページ↓からいただきました。ありがとうございます。

https://cdn.mainichi.jp/vol1/2017/12/12/20171212org00m070001000q/0.pdf?1

 大阪版毎日新聞 1993年3月11日(木)の夕刊からの記事です。

(なお、かっこ()内の文は、毎日新聞記事とは関係ない、私自身の余談ですよん。)

 

ザ・スタッフ

大毎地下劇場支配人・高橋三郎さん

さよならシネマ・パラダイス

 

(毎日大阪会館北館(左) と 毎日大阪会館南館(右) 四つ橋筋にまだ路面電車が走っている頃の写真。この路線は1963年に廃止されたそうです。)

新・大阪モダン建築 -戦後復興からEXPO`70の都市へ-

 

 大阪で唯一の名画座大毎地下劇場が今月(註:1993年3月)28日で閉館する。ロードショー公開された洋画の名作をえりすぐり毎回、2本立てで上映し続けて33年。見逃した話題作は、たいてい、この劇場で楽しんだ。中でも、イタリアの寒村を舞台にしたエルマノ・オルミ(Ermanno Olmi 1931 - 2018)監督の「木靴の樹 / L'Albero degli zoccoli」(1978)は忘れられない。

 「あ、あれ見てもらえましたか。僕がここへきて、あくる年(1980年)、支配人になった年に上映したんです。わー、懐かしいなあ」。高橋さんは、口もとをほころばせた。

 

木靴の樹 / L'Albero degli zoccoli」(1978)

木靴の樹【4K・HDリマスター】 Blu-ray

 

 大毎地下劇場は、大阪市北区堂島に毎日大阪会館南館が開館した1958年、大映の封切館としてスタート。長谷川一夫主演の「忠臣蔵」(1958)など邦画を上映していたが、梅田かいわいの映画館ほどふるわず、1960年(註:正確には1961年6月26日)、洋画の名画座に衣替えした。1973年、「友の会」が誕生し機関誌を発行。1975年(註:1972年となっている資料もあり)には「名画鑑賞会」も発足している。

 その時代、高橋さんは 大映関西支社洋画部の営業でセールスや経理を担当。大映倒産(1971年)後、第二の人生を、と職安に通い、旅行会社や眼鏡店で経理の仕事をしていたところへ、当時の支配人から「こないか」と声をかけられた。

 「話せばなごなりますけど、僕は小さいころから映画が好きでね。料金は子供で八銭ぐらいでしたかなあ。一日中、飲まず食わずで映画館におって親にようしかられたもんです」 

 

(大毎地下ニュース 1977年3月号~7月号 第16号~第20号)

(この頃の大毎地下ニュースのサイズはB5x8頁ではなく、B4x4頁です。)

 

 「(旧制)中学三年の時、新聞の募集広告を見て、親に内証で、PCL映画(現在の東宝)の大阪出張所に就職してね。以来、東宝、新東宝大映の営業畑を歩いて。大毎地下劇場で僕の映画へのあこがれと経験がぴたっとおうたわけで、ほんまに幸せもんや、と思うてます」

 いまスタッフは映写技師ら16人。うち4人が、観客の入り、不入りを決定する番組選定にあたってきた。

 「封切館でせっせと洋画の新作を見て回り、話題性や興行成績を調べて2本の組み合わせを考えていくんですが、どうしてもそれぞれの好みがでますでしょ。もめると僕が調停役。僕の判断が気に入らん、と、ふくれたり二、三日、しゃべってくれんかったり」

 

 高橋さんは微笑しながらタバコをくゆらせる。

 「僕がきてから、一番ヒットしたんは、「クレイマー、クレイマー / Kramer vs. Kramer」(1979)と「チャンプ / The Champ」(1979)のの2本立てです。二週間の興行で一カ月分のあがりがあって…。逆に、お客さんがちょっとしかこんかも知れん、だけどやりたい、と上映した秀作もありました。ソロバンは度外視して作品の素晴らしさに敬意を表す。こういう試みも映画の好きな人には喜んでもらえましたなあ」

クレイマー、クレイマー [Blu-ray]

 

 

***************

(1996年、雑誌「女性セブン」にて↓フランコ・ゼッフィレッリ(Franco Zeffirelli 1923 - 2019)監督が映画「チャンプ / The Champ」について語っています。)

チャンプ(1931年版) [DVD]

 

(フランコ・ゼフィレッリ監督、未成年への性的虐待?)

(ゼフィレッリさん、いくら美男で自分の好みだからといって、レナード・ホワイティング(Leonard Whiting)君が嫌がっているのに、ムリに脱がせるのはやめましょうね~。ぐはは)

 

(「ロミオとジュリエット / Romeo and Juliet」(1968)で、だまされ脱がされ、お尻撮影されました(泣)。5億ドル - 約660億円 - 払って!)

ロミオとジュリエット [Blu-ray]

 

(もともとリメイク版の「チャンプ」の主役は、ほぼライアン・オニールに決定していました。ボクサーのヘッジモン・ルイスとライアン↓)

(Hedgemon Lewis 1946 – 2020 & Ryan O'Neal 当時の映画雑誌「ロードショー」より)

 

(大のボクシング・ファンのライアン・オニール Ryan O'Neal)

(こちら↑は女優ジョアナ・ムーアと結婚していた22歳の頃、すでに2児・テイタムとグリフィンの父。只今「ペイトンプレイス物語 / Peyton Place」を撮影中。しかし、こんな人に家庭内暴力されたらたまりませんね~。雑誌「映画ストーリー」1965年10月号255頁より)

 

(ライアンは「チャンプ」の子役に、自分の長男グリフィンを使えと、ゼフィレッリに強く要求。監督に拒否されると、怒って主役を降りることに…。ワガママな美男ですね~。Hedgemon Lewis & Ryan O'Neal ↓)

(こちら↑は当時の映画雑誌「スクリーン」より。でもオニール、確かに性格悪いですが、良い身体してますね~。ケケケ)

メーン・イベント 特別版 [DVD]

(「チャンプ」よりも、この↑映画のほうがず~っと好きですわ。)

 

(リメイク版「チャンプ」、ジョン・ヴォイトフェイ・ダナウェイが元カップルという設定が、絶対ありえない!と私は思いました~。あなたは?)

(“パパ、本当にママが好きだったの?”)

「チャンプ / The Champ」(1979)  

チャンプ [DVD]

愛と憎しみの伝説 [DVD]

(“誰が『ママ』よっ!? 言ったでしょ!『親愛なるお母さま』と呼びなさいって!!”)

愛と憎しみの伝説 / Mommie Dearest」(1981)

 

***************

 

 この劇場の顧客はやはり若い女性、6000人を数える「友の会」のメンバーも71%が女性で、80代や母娘二代会員もいるという。

 「常連客は朝から座ぶとん、魔法ビン、お弁当を持ってこられます。それも市販のほかほか弁当じゃなく、手作りのおにぎりなんですよお」。番組選定スタッフの一人で40代の〇佳子さんが、アトホームな劇場の雰囲気を語る。

 

 高橋さんも目をうるませ、「うちは322席の中規模劇場ですが、ファンの方は、一昨年、上映した「ニュー・シネマ・パラダイス / Nuovo Cinema Paradiso」(1988)のような昔のよさを残した映画館や、と言うて惜しんでくれはって…」。

 

 

***************

ニュー・シネマ・パラダイス / Nuovo Cinema Paradiso」(1988)

(私はこの↑映画のような“こうやったら客は感動するだろう”的な狙った「感動の押し売り作」は大嫌いです!!同監督の「マレーナ / Malena」(2000)もまったく自分の好みに合いませんでした~。)


***************

 

 

 伊・仏合作のこの映画は、TVに押され閉館したイタリアの小さな村の映画館、ニュー・シネマ・パラダイスの物語だ。同時代を生き抜いた大毎地下劇場は毎日大阪会館の再開発で幕をおろす。24日からの“さよなら番組”が「天井桟敷の人々 / Les enfants du Paradis」(1945)と「勝手にしやがれ / À bout de souffle」(1960)。 

  「二本とも僕の大好きなフランス映画です」と高橋さんは言った。

(学芸部 南部ひろ)

 

天井棧敷の人々 4K修復版 Blu-ray

勝手にしやがれ [Blu-ray]

 

 

(毎日大阪会館北館 右手のレリーフは彫刻家・菊池一雄(1908 - 1985)氏作のブロンズ像だそうです。)

新・大阪モダン建築 -戦後復興からEXPO`70の都市へ-

 

(こちら↓に、毎日大阪会館北館と11階の毎日文化ホールの懐かしい写真を公開して下さってる方がいます。

https://twitter.com/GbMxgEY9wLtiWEa/status/1622521802298916865

素晴らしいですね!ありがとうございます。)
 

こちら↓のカラー写真も大変貴重!

https://twitter.com/GbMxgEY9wLtiWEa/status/1676862906728873984

 

 

 

1970年代 大阪キタ の 映画館

1970年代の大阪キタの映画館

 下の地図は、雑誌「ロードショー」1972年6月号に折込で掲載された加藤義明氏による「イラスト シネマップ 大阪」のきたの部分を、私が少し加工したものです。

 

 

 中学・高校時代の私は、映画をロードショーで観る場合、当時の自宅から近い大阪ミナミの映画館でというのが通常でした。たまにキタの1館でしか上映されない作品があれば梅田まで観に来ていましたが…。三番街シネマ1・2・3やシネラマのOS劇場、梅田東映を除き、この地図に載っている映画館の多くには一度も入ったことはありません…。でも梅田に来ることがあれば、これらの映画館の前を通ることはしばしばあったのです。そんな訳で、そこはかとなくノスタルジィがあるので、今回は大阪キタの古い映画館の情報を、まとめて掲載しま~す。

 

1973年現在の大阪北区(と上六)の洋画ロードショー館の所在地↓

↑映画雑誌「ロードショー」1974年2月号付録「映画手帳 1974」の“データ 1974”の9頁より。阪急プラザ劇場の「小深町」という町名は1978年に「芝田」に変更になったようです。

 

1977年1月、OS劇場では「キングコング / King Kong」(1976)、三番街シネマ1では「ラストコンサート / Dedicato a una stella / The Last Concert」(1976)、三番街シネマ2では「愛のコリーダ / L'Empire des sens / In the Realm of the Senses」(1976)と「卒業試験 / Es war nicht die Nachtigall」(1974)の二本立てを上映中

よい子の皆さんの好みの映画はどれかしら~?

 

1976年10月、阪急プラザ劇場では「オーメン / The Omen」(1976)を上映中

この映画館は、阪急三番街北館1階にありました(1984年5月31日に閉館)。その後ここに、KIDDY LAND(キディランド)と上新電機が出来たんですよね(?)。

 

1976年3月、ニューOS劇場では「爆走トラック'76 / White Line Fever」(1975)を上映中。ジャン=マイケル・ヴィンセント(ジャン=マイケル・ビンセント Jan-Michael Vincent 1944 - 2019)はヌード写真も有名ですよん。

ここ↑は阪急ファイブに行くたびに、横を通ってました。

 

1977年11月、閉館が近づくアート・シアター 北野シネマ↓。1977年ATG作品「西陣心中」を公開中。同時上映は日活映画「東京チャタレー夫人」(1977)。この映画題、憶えてますわ~。

昭和の大阪II: 昭和50~平成元年

 

旧・北野劇場、1977年1月「カサンドラ・クロス / The Cassandra Crossing」(1976)を上映中

この映画、多分にご都合主義的ですが、とても楽しめる映画でした~。

 

がんばれ!ベアーズThe Bad News Bears」(1976)を公開中の旧・梅田スカラ座(1977年1月撮影)↓。

私は1963年生まれなので、同い年のジョージ・マイケルホイットニー・ヒューストン亡きあと、同学年テイタムにはぜひ長生きしてもらいたいですわ~。ジュールス・ダッシン(ジュールズ・ダッシン Jules Dassin)監督(1911 - 2008)の「テータム・オニール レッスン・イン・ラブ / Circle of Two」(1980)は 、あんなにいい映画だったのに日本劇場未公開のままなのが、とっても残念です!

 

1976年5月、梅田スカラ座ではルネ・クレマン(René Clement 1913 - 1996)の最後の映画「危険なめぐり逢い / La Baby-Sitter / Babysitter」(1975)を上映中(駄作よね?)。梅田劇場の看板の下には三浦友和壇ふみ出演、1976年の東宝映画「あいつと私」のポスターが見えます。

右端にある「⇐三番街シネマ2」の看板には、リバイバル公開のティモシー・ダルトン版「嵐が丘 / Wuthering Heights」(1970)のポスターと “前売券発売中 近日ロードショー”の文字が読み取れます。その左横はカルト宗教団体のプロパガンダ映画だとか…。触らぬ神に祟りなし~ョ。

昭和の大阪II: 昭和50~平成元年

 

1977年8月、梅田地下劇場では「ザ・ディープ / The Deep」(1977)

ジョン・バリー(John Barry 1933 - 2011)の音楽が気持ちよかったですよね。

 

こちら↓はちょっと古い時代、1965年の旧・梅田劇場前の写真。梅田地下劇場の看板も見えます。東京オリンピック…の映画?

え~っと、確か監督は河瀨直美さんでしたかね?五輪反対デモに参加しているという男性が「実はお金をもらって動員されている」と打ち明けたんですって!?責任者、出てこいや!!

昭和の大阪 昭和20~50年

 

下↓の画像は2022年7月放映、公共放送のあるテレビ番組内で映し出された写真からのものです。公開中の映画から1967年1月の撮影だとわかります。一番左奥に、梅田コマ・スタジアム(梅コマ)も写っています。北野劇場では「パリは燃えているか / Paris brûle-t-il? / Is Paris Burning?」(1966)、梅田スカラ座では「おしゃれ泥棒 / How to Steal a Million」(1966)、

梅田劇場では、1967年の東宝映画「喜劇 駅前満貫」「社長千一夜」の二本立て、梅田地下劇場では「続・黄金の七人/レインボー作戦 / Il grande colpo dei sette uomini d'oro」(1966)を上映中。当時の活気が、なんとなく伝わってきませんか?

 

1977年8月、阪急交通社・阪急航空ビル奥の、映画館街

北野劇場では「ジェット・ローラー・コースター / Rollercoaster」(1977)、梅田スカラ座では「白い家の少女 / The Little Girl Who Lives Down the Lane」(1976)を上映中。阪急交通社の左の壁に見える「サスペリア / Suspiria」(1977)の文字は、阪急プラザ劇場の看板だと思われます。

その十日ほど前の素敵なカラー写真をツイッターに掲げている方がこちらに↓:

https://twitter.com/hakidamevideo/status/1595218936278450176

↑「サスペリア」「白い家の少女」1977年の東宝映画「HOUSE / ハウス」「泥だらけの純情」「八甲田山」の看板が並んでいます。ありがとうございます!

上のツイートの写真の源は、たぶんこちら↓だと思われます。

https://www.youtube.com/watch?v=I7_M1NdSNGY

あの頃大阪 1977年頃の梅田や道頓堀辺り

 

1978年2月、梅田劇場には東宝映画「女王蜂」(1978)の大きな看板が…。阪神交通社・阪急航空ビルはすでに解体されました。

この後、北野シネマ・北野劇場・梅田スカラ座・梅田劇場・梅田地下劇場のあった梅田東宝会館も解体、新ビルが建てられることになりました。そして2年数か月の後、1980年10月24日(金)にナビオ阪急オープン。その8階に新「北野劇場」「梅田劇場」「梅田スカラ座」の3つが開館しました。

昭和の大阪II: 昭和50~平成元年

 

こちら↓に、当時の毎日新聞記事をアップして下さってます。ありがとうございます!

http://jca.my.coocan.jp/kabuki/news/nwsppr3/kiji02/5189KB.htm

変容する“キタの興行街” 大阪 五つの映画館、来春取壊し

 

1977年7月、少し離れた梅田グランドでは「遠すぎた橋 / A Bridge Too Far」(1977)を絶賛上映中。

翌8月からは「エクソシスト2 / Exorcist II: The Heretic」(1977)になりますよ~。乞うご期待!!

こちら↓はこの記事トップの地図と同じ場所の、数年後のイラスト・マップです。

(株)有文社発行・プレイガイドジャーナル編著「大阪青春街図'76」より

大阪青春街図 '76 (1975年)

 

 人は「ジジババのバラ色回顧」と呼ぶかもしれませんが、この頃は、現在よりは確実にマシな時代でしたよね~?

 

*記事中の画像 “RS劇場めぐり” シリーズは、雑誌「ロードショー」1977年2月号~1978年2月号の中の6冊の各最終頁から、私自身が取り込んでアップしたものです。

 

大毎地下劇場 その5 名画の殿堂 西梅田 毎日大阪会館南館地下

 大毎地下劇場、1993年3月閉館時の新聞記事の情報をいただきましたので、掲載しま~す。

その情報源はこちらの素晴らしいHPです↓。ありがとうございます。

https://hekikaicinema.memo.wiki/

↑「消えた映画館の記憶」の近畿地方大阪市北区大毎地下劇場の項を参照してください。

 

毎日新聞大阪本社、毎日大阪会館北館、毎日大阪会館南館

 

以下は1993年(平成5年)3月26日(金曜日)、大阪版朝日新聞朝刊の記事より。()内の文は私の脱線です。

 

******

名画上映 35年 歴史に幕

 

 大阪を代表する名画座として、多くの映画ファンや映画人を育ててきた北区・堂島の大毎地下劇場が(1993年3月)28日、35年の幕を下ろす。名物支配人として知られた高橋三郎さん(73)も、半世紀を超す映画人生にピリオドを打つ。

 

大毎地下劇場

 

(1968年(昭和43年)の大毎地下劇場入場券売り場↓ フリー・ペーパー「月刊島民 中之島」Vol.53 2012/12/1 号 (特集:中之島キネマ通り) 6~7頁に掲載された写真より)

(「昼顔 / Belle de jour」(1967) と「太陽のサレーヌ / La grande sauterelle」(1967)の二本立てを上映中 当時は皆さん、ちゃんとした格好をしてお出かけだったんですね~。)

 

(どなたかがTwitterにアップして下さっていた新聞広告画像↓。以前に画像保存して、この記事にリンクを入れようと、そのつぶやきを探しましたが、今回見つけられませんでした。すみません…無断で使わせていただきますね~。ありがとうございます。)

(1968年に30日が土曜日に当たるのは3月と11月なので、ひとつ上の大毎地下劇場の入場券売り場の写真撮影は、そのいずれかの時期だと思われます。)

 

名物支配人高橋さんも「勇退

 

「黄金の腕 / The Man with the Golden Arm」(1955)

 

 劇場は1958年に毎日大阪会館南館の開館とともに、大映の封切館としてオープン。2年後(*注釈参照)にはフランク・シナトラ主演の「黄金の腕」など洋画二本立ての名画座に衣替えした。入場料は大人80円、学生60円、小人50円。4日ごとに作品が替わるのと、安い入場料が、映画好きの若者たちの人気を呼んだ。

 

(この通りを南に進んで大毎地下劇場へ…)

 

 高橋さんは17歳でPCL映画(東宝の前身)の大阪出張所に就職。戦後、東宝、新東宝と移って、配給の仕事を覚えた映画人だった。

 

「ファンタジア / Fantasia」(1940)

 

 55年に大映洋画部へ移り、ディズニー映画「ファンタジア」「砂漠は生きている」などを紹介した。そうこうしている間に労働争議。倒産した大映の後始末を済ませてからは「映画を忘れたい一心」で、旅行会社やメガネ販売会社で働いた。しかし、大毎地下劇場の支配人が病気で倒れたため、その代役で79年、映画界に復帰した。

 

「砂漠は生きている / The Living Desert」(1953)

 

 「隠居仕事のつもりで引き受けたが、十代半ばで飛び込んだ世界。いつの間にかとりこになっていた」。しかし時代の流れには逆らえない。周辺の再開発で、劇場の幕を下ろし、本社に戻る人たちも含めて、映写技師ら16人の従業員と共に、去ることになった。

 

(大毎地下劇場、最後の上映映画「天井棧敷の人々 / 天井桟敷の人々 / Les enfants du paradis」(1945)はマルセル・カルネ監督作品。下の写真は向かって左から女優の谷洋子(1928-1999)、マルセル・カルネ(1909-1996)、そしてカルネの愛人だった男優ローラン・ルザッフル(1927-2009 谷洋子の当時の夫)。)

(Yōko Tani, Marcel Carné et Roland Lesaffre à l'Aéroport d'Orly 1956)

写真↑は雑誌「映画の友」1956年9月号36頁より 1954年の映画「われら巴里ッ子 / われら巴里っ子 /  L'air de Paris」は監督カルネがルザッフルへの愛を形にしたゲイ映画と言えるでしょう~。現在カルネとルザッフルはパリ・モンマルトルのサン・ヴァンサン墓地で、同じお墓に眠っているそうですよ~ん。死んでも一緒~!)

 

パリの「赤いバラ」といわれた女

(右下のスチール写真は谷洋子とローラン・ルザッフル夫妻が来日して出演した1956年の東宝映画「裸足の青春」)

 

(Edward Baron Turk 著「Child of Paradise - MARCEL CARNÉ AND THE GOLDEN AGE OF FRENCH CINEMA」(1989) (評伝マルセル・カルネ)の書評 雑誌「朝日ジャーナル」1989年5月19日号75頁より↓ )

(“なおカルネの同性愛とそれが作品に及ぼした影響を論じた部分は卓見。”)

Child of Paradise: Marcel Carné and the Golden Age of French Cinema

MARCEL CARNÉ ET L'ÂGE D'OR DU CINÉMA FRANÇAIS 1929-1945

 

 最後のプログラムは、劇場ができた58年、キネマ旬報外国映画部門で1位になった「天井桟敷の人々」と、名画座に衣替えした60年(*注釈参照)に8位になった「勝手にしやがれ / À bout de souffle」(1960) 。ともに、映画史に残る名画である。

 

支配人が最後に観たかったのは「仕立て屋の恋 / Monsieur Hire」(1989)

(知人のフランス人の話によると、ミシェル・ブラン Michel Blanc ってゲイなんですって~。特にアジア人の男が好みだとか…。)

 「内証やけど、僕が最後に見たかったんは「仕立て屋の恋」やってん」と高橋さん。去り難い映画への思いを隠して、最後は「勝手にしいな」とほほ笑んだ。

 


******

 

旧・毎日新聞大阪本社前を歩く人々

この先の地下に、かつて大阪を代表する名画座があったんですわ~。

 

今はなき毎日大阪会館北館・南館

↑フリー・ペーパー「月刊島民 中之島」Vol.53 2012/12/1 号 (特集:中之島キネマ通り) 7頁に掲載された写真より

*注釈:大毎地下劇場の名画座への転向時期は、上の朝日新聞の記事では、1960年(つまり昭和35年)ということですが、雑誌「バラエティ」1982年2月号47頁の ‘名画座ガイド 大毎地下劇場’ の記述では、“(昭和)36年より、洋画専門の名画座に転向”とあります。S36年は1961年です。

 この記事トップにリンクさせていただきました「消えた映画館の記憶」においても

“1961年6月26日、大阪市北区堂島1-49の「大毎地下劇場」が大映封切館から洋画館に転換した。経営は大映興行。”「映画館ニュース」『キネマ旬報』1961年8月1日号、291号

となっていますので、1961年(昭和36年)が正確なデータだと推測されます。

 

 (おまけ) 谷洋子出演の「金星ロケット発進す / Der schweigende Stern / Milcząca gwiazda / The Silent Star / First Spaceship on Venus」(1960)は東独・ポーランド合作のSF映画。 日本で発売されたVHS(94分 ポーランド語版)とDVD(78分 英語版)では編集・話が異なります。

中学1年の時、天王寺辺りの本屋をあちこち探し回って入手した本「SFファンタジア ② 時空編」(1977 学習研究社) の1頁目に上の写真が載っていました~。

金星ロケット発進す [DVD]

 

この記事は、
大毎地下劇場 その6 名画の殿堂 西梅田 毎日大阪会館南館地下

https://k0nta.hatenablog.com/entry/2023/03/24/171809

に続きます。

 

盗作・パクリ・ウソで固めた松任谷由実の人生

 松任谷由実(ユーミン荒井由実呉田軽穂)はシンガー・ソングライターとして最もやってはいけないこと、「他の人の作った作品を自分の名前で発表するということ」を、平気で行いました。

 

  がきデカ「こまわり君」にそっくり…死刑!

f:id:KONTA:20220410161020j:plain

大ウソ上手の 松任谷由実 荒井由実 呉田軽穂 ユーミン

 

松任谷由実作詞・作曲」とクレジットされていても、実際は松任谷由実が一人で作ったわけではないという事実が、松任谷正隆の話から判明しました。その事実を裏付ける、リスナーの間で以前から疑問視され、疑惑がささやかれていた歌がこれです。

岡田有希子 十月の人魚 松任谷正隆作曲・編曲 1985年

https://www.youtube.com/watch?v=GTnL9X3s8zs

松任谷由実作詞・作曲とクレジットされた下の歌と、一部がまったく同じです。

松任谷由実 虹の下のどしゃ降りで 松任谷由実作詞・作曲 2006年

https://www.youtube.com/watch?v=Y_ry3sc39_4

 

松任谷由実 荒井由実 呉田軽穂 ユーミン

f:id:KONTA:20220410161306j:plain

これでも、私は洗練を目指してるから…

 

 松任谷由実荒井由実時代から、松任谷正隆が書いた曲であっても、由実ひとりの名義で発表し続けていたというのです。だからこの夫婦に別れ話が持ち上がった時、正隆は自分の書いたものを返してくれ、と由実に要求したそうです。由実がずっと言い続けていた「自分はニュー・ミュージック界で一番多作!!」の裏事情がハッキリしました。密室で複数の人間が作り、一人の人間の名義で発表しているなら、一年に2枚のアルバム発表も普通に軽~く可能だったということです。ガッカリな大嘘つき夫婦ですね!ある意味、お似合いのカップルと言えるでしょう。

 

笑うとキラリ☆と光る歯茎が。ユーミンの最大の魅力!

f:id:KONTA:20220410161556j:plain

そう、ユーザーをずっと騙してやったのさ!ギャハハ。私はウソも天才肌!

 

松任谷由実 女親分で根っからのイジメっ子

f:id:KONTA:20220410172244j:plain

それも、陰湿かつ執拗ないじめ方でも抜きんでた存在。相変わらずイジメ自慢してます。

 

松任谷由実自身は「いじめっ子」であることに誇りを持っているようです。

いつもいつもイジメの“武勇伝”を、インタビューで披露します!

 

ウソついでにもうひとつ書いておきます。

 

 松任谷由実がラジオなどで話している声を聞くと、やけに低~い声で、レコード・CDで歌ってるときの声となんか違うぞ、と思われた方も多いと思います。それには理由があるのです。

 1980年頃、松任谷由実自身があるラジオ番組で自ら暴露していたのですが、レコーディングの時まず最初に、曲の演奏だけのカラオケを作り、その後、歌入れの段階でそのオケをゆっくりの速度で再生し、そのスローなものに合わせて歌うのだそうです。そうして歌の録音が終わった後、録音出来たものをもともとの速度に戻して音盤化し、完成させているとのことでした。つまり、松任谷由実の発売された作品の歌声は全て、実際の由実の歌声を早回しした声なのです。この録り方をすると「ユーミンぽく聞こえる」のだそうです。荒井由実時代のアルファ・レーベル関係者が言ったこと「あの声の質は完全に人工的なメカニックの産物である。」は、まったくその通りですよね。由実の「最後の春休み」という歌の最末部、最後の春休「み~」のヒドすぎる声は、これらの不誠実な作業の、弊害の現れと考えられるかもしれません…。

 

買い物三昧のユーミン この化粧がとても良く似合って…。ピエロ?

f:id:KONTA:20220410161817j:plain

チャリティー大嫌い!全て自己責任よ。自分の力で這い上がって来い!

 

松任谷由実の夫は大物右翼「頭山家」の親戚、松任谷正隆

f:id:KONTA:20220410162118j:plain

女優との熱愛報道でも超有名!「ミュージシャンは積極的に政治に関わるべきだ。」(松任谷正隆の発言)

 

f:id:KONTA:20220412114438j:plain

は~い、そうします!  “悪だくみ”3人組↑、まさに「類は友を呼ぶ」…

 

f:id:KONTA:20220410162521j:plain

A級戦犯被疑者・岸信介の孫・安倍晋三にすり寄ってま~す。その甲斐あって、安倍政権下で紫綬褒章受章。ヤッホー!!

 

f:id:KONTA:20220410162743j:plain

松任谷由実の発言:「テレビでちょうど(安倍晋三の首相辞任会見を)見ていて泣いちゃった。切なくて」「(安倍晋三とは)私の中ではプライベートでは同じ価値観を共有できる、同い年だし、ロマンの在り方が同じ。」「辞任されたから言えるけど、(安倍晋三)ご夫妻は仲良しです。もっと自由にご飯に行ったりできるかな。」

プーチンにすり寄り翻弄されただけの安倍晋三ロシア外交は完全に失敗!!その成果は“お友達”松任谷由実松任谷正隆に勲章をもたらしたのみ…か?

 

松任谷由実松任谷正隆夫妻が、ロシアより勲章受賞 ウハウハ

f:id:KONTA:20220410162947j:plain

おかげ様で貰っちゃった~!ありがとう、安倍ちゃん、スパシーバ、プーチン!ロシアボーイズはいいヤツ。「ロシアから勲章を頂けるなんてカッコいい。」(←由実のコメント) 芸能タレントさんの賞や章には、ほとんど全て“裏”があるんですよ。

 

君が代」大好きMISIA、日の丸国旗大好きゆずと共に参加。

f:id:KONTA:20220410174807j:plain

企画 松任谷正隆

 

 ウソで固めた松任谷由実、それでもあなたはこの人間を愛せますか?

答えが「はい」なら、アナタも立派な「ユーミン盲信者(カルト)」!

 

このシリーズは続きます。

次回予告

松任谷由実が、大阪のラジオで夫・松任谷正隆の弟、松任谷愛介の恋人をボロカス!」

 

こちら↓も是非お読み下さい:

森 まゆみ(作家)
ユーミンの時代~「個人主義」時代の女神と安倍退陣

https://imidas.jp/jijikaitai/l-40-275-20-09-g821

戎橋劇場 その3 キリン会館4F 女性に愛される名画劇場

 引き続き、キリン会館4Fにあった戎橋劇場に関して。

 

f:id:KONTA:20211029005159j:plain

1985年11月、戎橋劇場では「死刑台のエレベーター」と「第三の男」を上映中

 

 素敵な情報をネットから頂きました。

こちら:

https://twitter.com/hanzotherza/status/1447528030138556417

 

 1981年7月8日(水)~17日(金)のうちのいつかに撮影されたと思われる、松坂慶子さんがキリン会館の前を歩く映像で、1981年8月8日(土)封切りの松竹映画「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」の一場面です。

男はつらいよ・浪花の恋の寅次郎 [DVD]

 

f:id:KONTA:20211029011709j:plain

戎橋を歩く人々、奥にグリコのネオン看板

 

f:id:KONTA:20211029011910j:plain

キリン会館の斜めに切れた入口部分が左

 

f:id:KONTA:20211029012141j:plain

芸者ふみ役の松坂慶子さんが着物姿で登場、宗右衛門町(そえもんちょう / そうえもんちょう)へと急ぎます。

 

f:id:KONTA:20211029012432j:plain

左ガラスケース内に戎橋劇場の文字が…。

 

f:id:KONTA:20211029012556j:plain

キリン会館入口のところに上り階段があったのですね。

 

f:id:KONTA:20211029012823j:plain

左に戎橋劇場上映予定ラインナップ看板が見え始めました。

 

f:id:KONTA:20211029013124j:plain

上映終了で消されていますが、「イエスタディ」「チャンス」の2本立て上映は1981年6月20日(土)~30日(火)

 

f:id:KONTA:20211029031724j:plain

1981年6月の戎橋劇場の上映作品(当時の「プレイガイドジャーナル」より)

 

f:id:KONTA:20211029013543j:plain

1981年7月1日(水)~7日(火)の上映も終了「プライベート・ベンジャミン」「スターダスト・メモリー

 

f:id:KONTA:20211029014009j:plain

ただ今絶賛上映中は「コンペティション」と「ジャズ・シンガー」の組み合わせ。1981年7月8日(水)~17日(金)

 

f:id:KONTA:20211029023759j:plain

映画「コンペティション / The Competition」(1980年) のランディ・クロフォード(Randy Crawford)が歌う主題歌「コンペティション~愛のテーマ(ピープル・アローン) / People Alone」(作曲:Lalo Schifrin 作詞:Will Jennings)、いい曲ですよね~。残念ながらランディ自身のアルバムには収録されていません。

コンペティション

 

ランディ・クロフォードの興味深いインタビューがあったので、ついでに掲載しておきます。日本版月刊「PLAYBOY」1980年2月号25頁より。「はじめの頃はよくゲイ・バーで歌っていたわ。…

f:id:KONTA:20211029040149j:plain

…私にも、とっても素敵なゲイの友人がいるもの。」(写真に一緒に写ってるジョー・サンプル Joe Sample のことぢゃないわよ~。)

 

f:id:KONTA:20211029015010j:plain

1981年7月18日(土)~28日(火)上映は「プライベイト レッスン」と「テン」?

 

たぶん最初上映予定だった「9時から5時まで」から「プライベイト レッスン」に変更になったのでしょう。

f:id:KONTA:20211029032114j:plain

1981年7月の番組 料金は一般800円・学生700円

 

f:id:KONTA:20211029015740j:plain

1981年7月29日(水)~8月7日(金)「オーメン 最後の闘争」「マルホランド・ラン 王者の道」

 

f:id:KONTA:20211029020151j:plain

看板にも描かれている「殺しのドレス」の上映は「スフィンクス」との組み合わせで、1981年8月8日(土)~18日(火)

 

f:id:KONTA:20211029032805j:plain

1981年8月の戎橋劇場のラインナップ

 

 あ~、この頃の戎橋にもう一度行ってみたいですわ。

 

映画監督の太田隆文氏が動画で戎橋劇場・大毎地下劇場の思い出を語っていらっしゃいます。こちら↓:太田監督 私の映画部屋 (18)想い出の名画座ー大阪編。懐かしの大毎地下劇場、戎橋劇場。

https://www.youtube.com/watch?v=o4gXIC2zTbs

この動画で興味をひかれて観た太田監督の映画「向日葵の丘 (ひまわりのおか) 1983年・夏」(2015年)もとってもいい作品でした。皆さんにもお勧めしま~す。

向日葵の丘 1983年・夏 [DVD]

 

キリン会館の西側の外壁にあったビールの神様 ガンブリヌス Gambrinus 像の飾り皿

f:id:KONTA:20211029130933j:plain

何かの記念品でしょうか? 裏面に「1960 キリン会館」の刻印が…。

戎橋劇場 その2 キリン会館4F 女性に愛される名画劇場

 戎橋劇場に関する資料も見つけたのでアップしておきます。映画雑誌「キネマ旬報」1973年8月上旬号(NO. 610「スケアクロウ」の写真が表紙)の35頁と122頁掲載、田中正和氏のお書きになった「われらの映画館・第38回 -大阪篇-」“女性に愛され続けて15年 戎橋劇場”という記事です。

 

f:id:KONTA:20210807004126j:plain

1973年梅雨の時期、戎橋劇場館内の様子

 

戎橋の8階建てビル・キリン会館の4~6階が戎橋劇場

f:id:KONTA:20210807004509j:plain

「戎劇 エビゲキ」と呼ばれていた?とは知りませんでした…。

 

1958年(昭和33年)5月9日開場より、女性に愛され続けて15年

f:id:KONTA:20210807004635j:plain

「じっと我慢の子であった」 1972年「ボンカレー」のCMで一世を風靡した流行語でしたよね~。

 

その日(1973年6月頃?)の番組は「掠奪された7人の花嫁」と「若草物語

f:id:KONTA:20210807005846j:plain

キリン会館の1階外、西側にあった上映番組のお知らせ看板

 

歌舞伎座の傍系・株式会社戎橋劇場として1958年5月9日開場

f:id:KONTA:20210807005934j:plain

一番最初の番組は「シェーン」と「知りすぎていた男」。当時の入場料は45円

 

戎橋劇場の入口

f:id:KONTA:20210807010124j:plain

4日大公開はライアン・オニールの「おかしなおかしな大泥棒 / The Thief Who Came To Dinner」(1973)とピーター・フォンダの「さすらいのカウボーイ / The Hired Hand」(1971)

 

1970年代に輝いたハンサム・スター、ライアン・オニール(Ryan O'Neal)様 す素敵!

f:id:KONTA:20210807010225j:plain

1977年、私はこの爽やかな笑顔に完全にやられました!実態はまさか‘子育て放棄の暴力男’だとはその頃は知る由もなく…。

 

1972年4月にノンリワインダーを設置

f:id:KONTA:20210807010428j:plain

紳士用トイレもきれいだよ。

 

道頓堀川からのぞむ1973年のキリン会館

f:id:KONTA:20210807010602j:plain

川へのダイブはご自由に…。澄み切った清流が大阪人の自慢よ!(ウソ)。

 

特選洋画専門の二番館 最近のヒット作は「ある愛の詩」「恋のエチュード」「赤ちゃんよ永遠に」「ローマの休日」など…

f:id:KONTA:20210807010753j:plain

 興収・動員どちらも一位の映画「いんげん豆」??? 一体どんな映画やねん!

 

「名画は戎劇」の横幕

f:id:KONTA:20210807011049j:plain

「掠奪された七人の花嫁」のハワード・キール(Howard Keel 1919 – 2004)って他のミュージカル男優にない魅力を持つ人。キールの「大洪水 / Floods of Fear」 (1959)も好き~!193㎝の長身だって。倒れられたら介護が大変そうね…。

大洪水 EMD-10039 [DVD]

 

戎橋劇場にも友の会ってあったの? 1973年現在800人程の会員が…

f:id:KONTA:20210807011128j:plain

会員は5月と12月に募集

 

f:id:KONTA:20210807011233j:plain

本店は堺の南海グリル、南海グリル心斎橋店はキリン会館に…。テラス席では紫外線対策をお忘れなく!

 

会費無料で種々の特典がある?

f:id:KONTA:20210807011332j:plain

戎橋劇場:大阪市南区心斎橋筋2の46 キリン会館

定員:300名

1973年の料金:一般350円 学生300円 子供・夜間・友の会会員250円

 

若草物語 [DVD] 

f:id:KONTA:20210807011430j:plain

掠奪された七人の花嫁(1枚組) [DVD]

↑「7人」「七人 」どちらの表記もあるようです。リバイバル時に変えられたのかも?

 

戎橋 キリン会館 4階~6階

f:id:KONTA:20210807011717j:plain

われらの映画館 大阪 戎橋劇場 戎橋は今日も活気にあふれ…

 

キネマ旬報社はこの連載「われらの映画館」をまとめ一冊の本にして出版すべきだと思います。今はなき懐かしい映画館の貴重な写真・資料集となるでしょう。

こちら↓「消えた映画館の記憶」に、「キネマ旬報」で紹介された映画館約130館のリストを掲載して下さっています。素晴らしいですね~。ありがとうございます。
https://hekikaicinema.memo.wiki/d/%B1%C7%B2%E8%B4%DB%B4%D8%B7%B8%BD%F1%C0%D2

 

f:id:KONTA:20210912033229j:plain

1982年6月12日公開、松竹映画「道頓堀川」の中のキリン会館・戎橋劇場

f:id:KONTA:20210912033404j:plain

あの頃映画 「道頓堀川」 [DVD]

f:id:KONTA:20210912140018j:plain

真夜中の戎橋とグリコの看板 松竹映画「道頓堀川」(1982)の一場面より

 

2020年4月14日(火)午前8時10分の道頓堀・戎橋 撮影:西岡臣氏

f:id:KONTA:20210912140110j:plain

戎橋は今日も活気にあふ…ガラ~ン

2021年10月29日追記:
戎橋劇場 その3 キリン会館4F 女性に愛される名画劇場

https://k0nta.hatenablog.com/entry/2021/10/29/042243

に続きます。