僕のユーミン(松任谷由実 / 荒井由実)・グッズのお宝は、このゴリラ付きパラシュートです。
(結構、保存状態いいでしょ?)
これは、1979年12月14日(金)、大阪厚生年金会館大ホールで行われたユーミンの
「MAGICAL PUMPKIN (マジカル・パンプキン)
魔法の南瓜物語 (まほうのパンプキンものがたり)」
コンサートで、「恋のスーパーパラシューター」が歌われた時、天井からステージに降ってきたものを頂いちゃったんで~す。それから保管すること30数年…、大切にしております!どうでしょう、これってお宝ですよね?
このお宝紹介のついでに、このコンサートの様子についても書いてみようと思いまあす。
(由実の「み」は「美」じゃないってばっ。)
まず、このコンサートの前売り券の発売が、1979年の10月11日(木)でした。その発売日に、学校(当時僕、ピチピチの高校1年生!)の帰り、急いで厚生年金会館の窓口まで買いに行ったら、前から4列目の席が残っていたんです!この頃は、まだ‘第2次ユーミン・ブーム’の前だから、わりと簡単にチケットはとれたんですよ。S席が3000円でした。
1979年といえば、どんな年だったか憶えているでしょうか? 映画でいえばアメリカでは、いわゆる‘ベトナム戦争後遺症もの’と呼ばれるものが数多く作られ、イギリスではサッチャーが政権をとり、パリ郊外ではジーン・セバーグが亡くなり、写真家アンセル・アダムス(Ansel Adams)が米雑誌「TIME」のカバーを飾ったりした年でもありました(ユーミン、彼の写真が大好きだと言ってましたよね?)。1979年、思い出しましたか?
衣装代だけで800万円(600万円と書いてある資料もあり) 、ステージには3000万円かけたとユーミンが言ってた(←これらの金額はどっちみち松任谷のいつもの“ハッタリ”だと思う)、コンサート、いよいよ始まりで~す。
(魔女系は得意?なユーミン。)
最初にプロローグとして、ザ・スクェア(現T-SQUARE 前回の「OLIVE」コンサートに引き続きバックを担当)のメンバー1人がお爺さんに変装して出てきて、パンプキンやハロウィンについてお話してくれました。そしてオープニング曲、
あの日にかえりたい
でユーミンが登場。パラソルを持って、衣装はメリー・ポピンズ風です。かなり重ね着していて、曲ごとに服を脱いでいき、少しずつ違ったファッションを見せてくれます。
2曲目は
でした。その後、MCでよねやまままこさんに指導を受けたというパントマイムの話がありました。
(上を脱ぐとこんなカンジに…。)
ザ・スクェアのメンバーとパントマイムを演じて、曲は、
魔法のくすり
青いエアメイル
と続きました。
(パントマイムするザ・スクェアとユーミン。)
そして一度ユーミンは舞台中央のカボチャの家へ引っ込みました。ザ・ドリフターズの「8時だョ!全員集合」のスタッフがこの不思議なセットを担当されたそうです。
(舞台の中央に様々に変化する巨大なカボチャが…。)
衣装替えをして再登場したユーミン、今度はシンプルなパンタロン・スーツ(表現古い?)を身に着け、ステージに置かれたマネキン人形の間で、
消灯飛行
航海日誌
を歌ってくれました。
次の曲、
ツバメのように
の時は、数多くの高層ビルが背景に映し出されていました。ユーミンの踊りも美しかったです。そして、ふたたびユーミンはカボチャの中へ。
(ジャケットと帽子を脱ぐとこんな風に…。)
舞台は暗転し、少しすると小さな子供たちが40人ほど(だったかな?もっと少なかったかも…?)白い羽根をつけた天使になって出てきて、子供たちだけで
(ティンカーベル?と天使たち。)
を歌いました。続いて、ユーミンも羽根をつけた白いドレスで登場し今度はユーミンが
を一人で歌いました。その時、子供たちはカボチャの周りの階段に腰掛け、ユーミンの歌に合わせて身体を左右に揺らしていました(いわゆる横ノリ~)。歌が終わると、小さな天使たちは天(というか楽屋)に戻って行きました。この子達ももう今やアラフォーと呼ばれる年齢になってるハズですよね?「やさしさに包まれたなら」がスタンダード化した現在、このステージはいい思い出になってるんじゃないでしょうか?(で、ギャラいくらだったんですか?)
ユーミンの背中に付いていた妖精の羽根も、天に登って行って、歌は
ロッヂで待つクリスマス
になりました。歌を聞きながら見ると、カボチャが今度はロッヂに思えるから不思議です。次に、ザ・スクェアのメンバーが全員出てきて、パントマイムでユーミンにスープの作り方を教わります。これがすごく凝っていて面白かったです。ザ・スクェアの皆さん、普段慣れていないことだったでしょうが、頑張りましたね。良く出来ました◎!そして、スープといえばやっぱり曲はこれ、
チャイニーズ・スープ
へ…。歌い終わったあと、ユーミンは一休みし、ザ・スクェアのリーダーによる、バンドのメンバー紹介がありました。伊東毅(伊東たけし)さん、この頃まだ髪がふさふさでカッコよかったですね。
(弾き語りする女王様。一部のゲイの永遠の女神!)
そして次に、周りをカボチャ型の丸い大きな電飾で囲んだピアノが登場し、ユーミンは金色に輝くトップに、下は黒の素敵なスリム・パンツという出で立ちで現れました。
その時、客席から“ユーミン!”と叫ぶ男性のぶっとい声が会場内に響き、ユーミンはズッコケていました。きっと野郎系の方ですかね?
“私は女性に嫉妬されないタイプで、コンサートに来てくれるの80%は女の人なんだけど、男の人が来てる場合は女の人が無理やり連れて来てたりして…。男の人がひとりで来てる場合もあるんだけど、そういう場合は、その人はものすごい変人だったりするんです。”
というような話をその時していました。そりゃそうでしょう!ユーミンのコンサートに来る男は昔から、クイア(含む自分)に決まってますよね~(決めつけ)。
そして、ピアノ弾き語りが始まり
「いちご白書」をもう一度
緑の町に舞い降りて
が歌われました。弾き語り時のMCで、
今年(1979年)の大晦日に、紅白歌合戦の裏番組を吉田拓郎、松山千春さん、森山良子さんと私の4人ですることになりました。紅白は見ないで、この番組「SUPER JAM / スーパー・ジャム」を見てくださいね。
とユーミンは話していました。
他にも、
私のファンは、○○○○のファンなんかに比べたらずっと、いい男、いい女ばかりよ(←当時売れてた男性シンガー・ソングライターの事をほのめかして)。
今、売れている人の中で土着的でないのは私だけ…。
私は歌唱力は置いといて、曲作りなんかは天才…。
ステージが始まる前も鏡に向かって“お前は天才なんだ、今日の客は怖くない!”みたいなことを言ってるの…。
というようなトークでファンを楽しませました。いつもながら素直な発言のユーミン、素敵です。新しいアルバム「悲しいほどお天気」についても色々話してくれました。
こんな話ばかりじゃ悪いので次は、“リクエストにお応えします”ということでリクエストを募り、会場のあちこちから様々な声があがりました。そして、その時歌ってくれたのは
でした。これで1部が終了し、その後10分間の休憩に入りました。
2部は
ザ・スクェアの演奏2曲(大阪でやった曲名はわかりませんが、「地球音楽ライブラリー 松任谷由実」(2003年 TOKYO FM出版)の218頁のソング・リストによると、次の2曲となっているので、この2曲の可能性があります。)
MAKE ME A STAR
LOVE FOREVER
で始まりました。
(この衣装は「スーパー・ジャム」にも登場しました。)
ユーミンは
未来は霧の中に
で、衣装はピンクの帽子に、ピンクのタイツ、ミニ・スカートで1960年代風にポップに登場。アルバム「OLIVE」のジャケットと同じ(ような?)サングラスをかけていました。そして、今度はユーミンから、ザ・スクェアのメンバー紹介がありました。曲は、
冷たい雨
そして
恋のスーパーパラシューター
と続き、この時、あのゴリラのパラシュートが上からステージに沢山落ちてきたんです。
色んな仕掛けで喜ばせ、観客の興奮は一気にピークにのぼり詰めました!ユーミンも最前列のほんとに直前まで来てくれて、お客はみんなノリノリでした。あの頃、ユーミンも僕らも若かったです(今もョ)。
そして幕が降りてきました。
拍手が鳴り止まず、アンコールは、
DESTINY
でした。発売当初からこの曲はアンコールで盛り上がる曲だったんですよね~。興奮した客たちが、ステージの前までつめかけ、僕もステージ前まで行こうと立ち上がったら、ユーミン違う方向へ行っちゃいました~(泣)。
そして、もう一曲
埠頭を渡る風
で、お客を興奮の坩堝に巻き込み、熱気の中、ステージの幕が降りました。
すると、すぐまた幕が上がり、ザ・スクェアのメンバーとユーミンが手をつないでステージの一番観客席寄りの舞台の端まで走ってきてくれて、一礼、そして今度は本当に幕が降りて、コンサートはこれで終わりました。
コンサートが終わったあと僕は、舞台に落ちていたこのゴリラ付きのパラシュートを、頂いてしまいました。でも、今考えると、貰ってよかったんでしょうか? その当時の僕は、これは使い捨ての小道具だとばかり思っていたので、何の罪悪感もなく、記念にしっかり持って帰らせていただきましたけど、もしかして、毎度回収して、その後のコンサートでも再利用していたのでしょうか?もしそうなら、ごめんなさい…。無くなったパラシュートひとつ、取ったのはこの僕でした。でも、もうすでに時効ですよね? ユーミンを熱愛するあまりつい…、笑って許して!
(「りんごのにおいと風の国」も聴きたかった!)
ところで、この大阪公演の宣伝チラシがあって、演奏予定セット・リストが掲載されているんですが、そこになぜか、ユーミンが、アグネス‘いい加減にしてよ!’チャンさんに書いた「白いくつ下は似合わない」が載っているんです。これって、最初「白いくつ下は似合わない」もユーミンがこのコンサートで歌う曲の候補になっていたってことなんでしょうかね~?その一行上に記載された「いちご白書をもう一度」は、確かにこのコンサートで歌われたからありえることかもしれません。ユーミンの歌で一度聞いてみたいですわ、「白いくつ下は似合わない」。
このコンサート時のザ・スクェアは
安藤正容 (ギター、リーダー)
伊東毅(伊東たけし) (アルト・サックス、リリコン)
久米大作 (キーボード)
中村裕二 (ベース)
青山純 (ドラムス)
仙波清彦 (パーカッション)
というメンバーでした。素敵なコンサートをどうもありがとうございました。
その他のスタッフは、チラシを参照してください。
(「OLIVE」コンサートに続き、演出は伊集院静さん。)
このコンサートのパンフレットも一部分‘飛び出す絵本’仕様になっていて、なかなかいいんですよ~。もう激レアでしょうか?
(いやぁ、自分でもよく記録残しておいたなとちょっと感心しました。コンサートから帰った夜に書いたものを参考に、この文をアップしてみました。30年以上経って役に立つなんて、やっぱり書き残すことって大切なのね。まぁ、単なる自己満足さっ。)
松任谷由実 オフィシャル・サイトの「お宝自慢!」のコーナーはこちら:
http://yuming.co.jp/otakara/
ヨネヤマママコさんについてはこちら:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8D%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%9E%E3%83%9E%E3%82%B3
http://yaplog.jp/mamako-pankago/
ここに掲載の写真は、
ユーミン「BROWN'S HOTEL」コンサート・パンフレット 1980年
「アルバム ピム“悲しいほどお天気”」 東京音楽出版社 1979年12月10日発行
雑誌「別冊ぴあ 7/31 夏号 CALENDAR」1982年