Kontaの歓びの毒牙

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ユーミン 私のフランソワーズ・アルディ 対談 その1

私のフランソワーズに会っちゃった!

 2005年に書いてからはや数年、でもいまだに「ユーミンが語る’私のフランソワーズ・アルディ’」の記事に来れられる方、多数。

こちら:

http://d.hatena.ne.jp/KONTA/20050602


やっぱりみんな、アルディとユーミンの関係に興味があるのね。
ということで、大サービスさっ!
アルディとユーミンの1996年の対談記事をアップします。
これは音楽史上大きな出来事ですからね(ホンマか?)


以下雑誌「フラウ/FRaU」1996年10月22号(No.123)の63頁から68頁のカラー全6ページからの抜粋です。


取材・文/小野綾子


パリジェンヌの命―
それは「セデュクシオン」
生まれついての魅惑力

  • フランスの粋(エスプリ)とは、60年代の陰影とメランコリック


 荒井由実の2枚目のアルバム、『ミスリム』ASIN:B00005GMFN の中に『私のフランソワーズ』というスローな曲がある。フランソワーズとは、ユーミンがその詞に“さみしいときはいつも、あなたの歌に帰るのよ”と記すほど憧れて止まなかったフランス人アーティスト、フランソワーズ・アルディのこと―。
 それはパリがパリらしいエスプリを円熟させていた60年代に遡る。自作自演によるデビュー曲『男の子と女の子』で200万枚の大ヒットを生んだ18歳の女の子がいた。まだグラマラスな女性がもてはやされていた中、後にパリジャン・クールと呼ばれる知的なプロポーションで出現した彼女は、かなり衝撃的だったといっていい。『ELLE』の表紙を飾った。『グラン・プリ』(1966年)を始め、いくつかの映画にも出演した。16歳でバカロレア(大学入試資格試験)に合格し、ソルボンヌに籍を置くというプロフィールも衆目を引くに充分だったのだろう。けれど―。
 フランソワーズ・アルディは、わずか5年の芸能生活の後、あっさりと表舞台から身を引いてしまう。そして、以後、完全なるマイペースで活躍するその作詞家は、より神秘性を匂わせる人となっていた。
 今年(注:1996年)、松任谷由実が“荒井由実”の曲『まちぶせ』をリバイバルさせたり、たった3日間だけの復活コンサートを実現させたりしたのも、偶然のタイミングではなかったのかもしれない。荒井由実が“写真でしか知らず、遠く憧れるだけ”だったその人に、ようやく出会うことができたのだから。
 待ち合わせのその場所に、ユーミンは、小走りでやって来た。「思春期に戻ったみたい」と、頬を上気させて。それはいつか見た、夢の実現だった。


ユーミン:『もう森へなんか行かない』という曲を聴いた時に、それが青春とか思春期の思いを代弁しているように感じられて、まだ見ぬヨーロッパの森へ想像を馳せていたことがあったんですよ。オタク的に活動を追うファンではなかったけれど、すごく影響されたと思ってる。カッコいいと思うことには何でも首を突っ込んでいた思春期に、アルディさんは私にとって、まさにフランスの香りだったんですね。
アルディ:お役にたてることがあれば、何でも言ってください(笑)。
ユ:私は東京の郊外に生まれ育っていて、それが音楽を作るのにすごくラッキーだったんですよ。街へはすぐ出かけて行ける所でもあるし、ちょっと離れた距離感で冷静に見ることもできる。パリとアルディさんの場合には、どんな感じだったんですか。
ア:70年代はイル・サンリュイ島というパリの中でもお洒落な所に住んでいました。そして子供が生まれてから14区の一軒家に移った。でも、私は本当に個人のことしか考えていなかったので、街の中心にいてもどうということもなく、政治のことや若い人達のことに、何にも感じていなかったわ。周りに起こっていることに興味がなかったの。
ユ:あ、でも、もうそのこと自体がパリっぽいともいえるのかも。
ア:もしかしたら悪い意味の例外なのかもしれないのだけれどね。私は基本的にどこにいても自分の殻に閉じ籠ってしまうの。リオ・デ・ジャネイロに滞在したときなんか、一日中ホテルで本を読んで満足していた。人に会うのはいいけれど、観光などには興味がない。外界と接触するのは、本や映画を通してでもいいと思っている。
 マルセル・プルーストなんか、ほとんど部屋から出ず、旅にも行かず、けれど内容の濃いものを作っているでしょう? きっと外に出なくとも外界と接触を持つことはできるし、旅することもできるんだと思うわ。
ユ:自分の中を旅する、これはクリエーターの宿命ですよね。
 アルディさんは、イエイエ族やビートニク世代の息がかかっているでしょう? でもそれと同時にフォークロアというか、田園のナチュラルさみたいな感じも気がするんですよ。それでパリとの距離感を聞いてみたかったの。
ア:実際の生活を言うならば、都会の快適さに奴隷のように浸ってる(笑)。特に虫が大嫌いで、とてもひとりで山になんか行けない状況よ。まったく自然から隔離されて生きているから。都会人の持つあらゆる欠点は持っているでしょうね。ただ、それが自然でないかというと、そうではないんだと思うの。都会とか田舎という視点で考えたことはないけれど、自分自身が自然に生きて行きたいと思っているから、ナチュラルに見えるのかもしれない。
ユ:ナチュラルに年を重ねて行くというのは、私の目指したいところでもある。あの当時は、アルディさんの少女っぽいところと不良っぽいブレンドがカッコよく感じていました。ちょっとシャイな感じもあって。
ア:あら、私は不良じゃないわよ(笑)。なるべくいい子になろう、知性を磨こうとは思っていたけれど、不良に見せようとは思っていなかった。
ユ:だって、その頃の私にはそう見えたんだもん(笑)。そしてそういう大人がカッコよく映ったから、子供が遊びに出たくなったんだなと思うな。
ア:私のシャイなところというのは、環境からくるものだと思うのよ。私の母は未婚の母だったの。当時はさすがにフランスでも少なくて、人と違うことがちょっと恥ずかしかった。一緒には住んでいなかったのだけれど、父が私を私立のミッション・スクールに入れたものだから、その思いが特に強くなっていったんだと思う。ある程度いいところのお嬢さんばかりが通っているでしょう? その中で、私と妹だけはいつも同じ服を着ていたし、父が学費の支払いを滞納したりしていた。おまけに祖母は私のことを“醜い子だね”って言ってたしね…(笑)。自分に対するコンプレックスができたんでしょうね。それでシャイになったんだと思う。
ユ:感受性が強いということですよね。
ア:そうね。感受性は強いと思う。でもそれにも2種類あると思うのよ。相手のことを敏感に感じて、察してあげられる感受性と、弱いがために敏感で過敏に反応してしまう感受性と。私の場合はそれによく悩まされてしまうから、前者のほうより後者のほうが強いんだと思うわ。
ユ:あ、それは私もよくわかりますよ。過敏に反応して、バッド・トリップしちゃうんですよね。
ア:前者なら受け皿が広いということだけれど、後者では、受け皿が狭いということになる。
ユ:アルディさんにはその両方があると思うな。
ア:そうでありたいとは思っているけれど。
ユ:今日初めてお会いしてみたら、もちろん影響を受けたところも多いけど、共通のものに吸い寄せられて行ったところもあったんだなと今思った。クンクンと動物的な勘で、同じ匂いを嗅ぎ取ったんだと思う。
ア:実は、私も、そんな気がしている…(笑)。


その2につづく
http://k0nta.hatenablog.com/entry/20120122


もう森へなんか行かない(CCCD)

もう森へなんか行かない(CCCD)

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「もう森へなんか行かない / Ma Jeunesse Fout L'Camp」の作者ギイ・ボンタンペリ(Guy Bontempelli)が歌うヴァージョンは、こちらのCD「パリ祭」↑に収録されています。