Kontaの歓びの毒牙

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ピーター・アレン × 竹内まりや 1981年 電話対談 

この後竹内自作曲を歌い最悪な方向へ…

1981年のこんな記事を見つけました。


テレフォン・セッション'81

 東京芝浦にあるアルファ・レコードに竹内まりやはやってきた。発表したばかりのニュー・アルバム「miss M」のA面1曲めにして、シングル・カット曲「スイーテスト・ミュージック(SWEETEST MUSIC)」の作曲者、ピーター・アレン(Peter Allen)と久しぶりに国際電話をするためだ。
 日本時間で朝の午前10時、ピーターの住むカリフォルニアは、午後5時。ピーターは、自宅でまりやの電話を待っていてくれた。

構成・文 / 岩田由記夫


以前日本に3年いたから日本語だって話せるよ!!


まりや:ハロー、ピーター、まりやです。私が「miss M」の録音のためにロスアンゼルスに行ったとき、電話したの、覚えていてくれた?
ピーター:もちろん、きみのために曲を書いたんだもん。当然覚えてるよ。
ま:今日はレコパル(音の仲間たち)のためのインタビューもかねているので、たくさん聞くけどいいかしら?


 まりやが、着てきたグレーのブリティッシュ調の渋いセンスのジャケットに黒いタイト・スカート、なんとなく一線で活躍するインタビュアーふうなのです。そういえば彼女、もしシンガーにならなかったら、音楽記者になりたかったって、かつてインタビューで語っていたこともある人なのだ。


ま:まず、どうして音楽関係の仕事をするようになったの?
ピ:昔、オーストラリアのホテルでピアノを弾いていたんだ。学校を辞めてからもずっと弾いていた。それから日本へ行ったんだよ。
ま:えーっ!?オーストラリア生まれというのは知ってたけど、日本にそんな昔に来たの?幾つのとき?
ピ:18歳のとき。3年くらい住んでたんだよ。
ま:3年もーっ!日本語しゃべれる?
ピ:少しはね。まあまあでーす。(と急に日本語になった!) 今でも、こちらにある日本料理の店にはちょくちょく行くし、料理の種類もだいたいわかるので、ちゃんと注文もできるよ。
ま:18歳のときっていうと?
ピ:1964年のことだから東京オリンピックの年、そのときはジュディ・ガーランドと一緒だったんだよ。
ま:えーっ!!ほんと!?
ピ:ジュディとは、ぼくは船で行ったので香港で会ったのです。そして、日本までは、一緒だった。
ま:それでライザ・ミネリと結婚したんですね。
ピ:そう。日本で音楽関係の仕事をして、その後、インドで演奏して、それからイギリスへ行ってジュディ・ガーランドと一緒に働いた。それで、ライザを紹介されて結婚したんだ。ぼくは20歳、彼女は18歳だった。2人の結婚生活は、7年くらい続いたけど別れてしまった。
ま:じゃあ、今はひとりですか?
ピ:そう。今、36歳だけどライザと別れてからは、誰とも結婚していない。今度のアルバムに「サイモン(SIMON)」って曲入っているでしょう?
ま:ええ。私の好きな曲。
ピ:あれは、10年ちょっと前にぼくが書いて、ライザが歌ったことのある曲なんだよ。サイモンというのは、ライザの好きな人だったんだ。ぼくは、歌いたくはなかったけど、プロデュースしてくれたデビッド・フォスターが、古い曲を聴かせてくれって言うんで、あの曲を歌ってみたんだ。そしたら、それいいからアルバムに入れようって、デビッドが言い出して。
ま:へーっ!36歳という年齢以上にいろんなこと経験してるのね!
ピ:うん、そうかもしれない。ぼくはほんとに36だけどぼくの日記を読む人がいたとしたら、ぼくのこと、50歳にはなってるって思うだろうねえ。


 ピーター・アレンは、ニュー・アルバム「バイ・コースタル」を発表したばかり。しかも、エアプレイのデビッド・フォスターにジェイ・グレイドン、トトのスティーブ・ルカサー、ジェフ・ポーカロ、などバック・ミュージシャンもまりやの「miss M」と共通で、話もはずむ。


ま:デビッド・フォスターの話が出たけど、彼はなにしてます?ジェイ・グレイドンは?
ピ:2人とも別々に次なるミュージシャンのプロデュースをしている。忙しそうだよ。2人とも売れっ子だからね。
ま:じゃあ、トトの連中は?
ピ:ツアーのまっ最中だよ。ニューヨークでボズ・スキャッグスと一緒に演ったりしてね。でも、もうみんな家に帰って来てるところだね。次のアルバムも彼らと一緒にやるつもりだ。あの連中とは気が合うし、好きなんだ。
ま:私にも、よくわかるわ。私も彼らと初めて仕事したけど、とても楽しかったし、気持ちがよかった。ところで、私のアルバム、聴いてくれた?
ピ:ええ。もちろん。
ま:ピーターに書いてもらった「スイーテスト・ミュージック」をシングル・カットしたんだけど…。
ピ:いやあ、それは光栄だ。うれしいね。ちょっとソウルっぽくてむずかしい曲だけど、とてもよくできてたよ。
ま:そう、どうもありがとう。
ピ:まりやのアルバムを全部聴いたけど、今度の新しいやつとこの前の「ラブ・ソングス」がぼくには、とくによかった。
ま:ところで今年'81年の夢ってありますか?
ピ:今年はとっても忙しそうだ。だけど、今年は絶対に日本へ行く。もう3年前から行きたいって思い続けたんだもの。だから皆さんに待っててくれって、伝えてください。
ま:ハイ!ところで最後に日本語、しゃべってください。
ピ:日常会話くらいならできるかなあ。Itsu Nippon ni Kimasuka?(日本語で)
ま:When will you come to Japan?(英語で)ね。
ピ:今年行きますよおー(日本語で)(笑)。


 ラジオや、彼女のアルバムで発音のよい英語は聞いていたけれど、実際に外国の人と話すと、、まりやって本当に英語がうまいのでビックリ。ピーターがヘレン・レディの前座として'75年に日本へ来たこと、'74年に発表したアルバム「コンチネンタル・アメリカン」の中の1曲「愛の告白」をオリビア・ニュートン・ジョンが歌ってグラミー賞をもらったこと、今回のアルバムの前の、彼にとってA&Mレーベルで4枚めのアルバム「あなたしか見えない」(アルファ AMP6045)から、「あなたしか見えない」をメリサ・マンチェスターが歌って全米大ヒットになったことなども聞き出してくれた。


雑誌「FMレコパル」西版 1981年 第3号 1/19−2/1 113頁から114頁に収録

バイ・コースタル

バイ・コースタル