Kontaの歓びの毒牙

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日本版「ボーイ・フロム・オズ」鑑賞

ヒュー次郎さんが送ってくださった写真

演出:フィリップ・マッキンリー(PHILIP WM. McKINLEY)
振付:ジョーイ・マクニーリ(JOEY McKNEELY)
翻訳:丹野郁弓
訳詞:忠の仁

ピーター・アレン:坂本昌行 
ライザ・ミネリ紫吹淳 
ピーターの恋人、グレッグ・コンネル:IZAM 
ピーターのエージェント、ディー・アンソニー:団時朗
ピーターの父、ディック・ウールノー:団時朗
ピーターの母、マリオン・ウールノー:今陽子 
ジュディ・ガーランド:鳳蘭 
リトル・ピーター:松谷嵐
ヤング・ピーター:西川大貴
マーク・ヘロン:後藤ひろゆき
クリス・ベル:松原剛志


 「ボーイ・フロム・オズ/THE BOY FROM OZ」日本版、2005年6月23日(木)13:30からのマチネを鑑賞しました。

 マチネということもあるのか、観客がほとんど女性ばかりでビックリしました。青山劇場は1200人収容ということですが、男性客は数十人ぐらいか?女性トイレには延々と長蛇の列、がまんできず男性用トイレに走りこんできた女性もいましたよ(オイオイ)。

 前奏曲のあと、団時朗さんによるピーター・アレンの簡単な紹介があって、それからピーター・アレン(坂本昌行さん)が登場し、ピアノに座って歌います。この1曲目<この俺の別の顔/(ALL) THE LIVES OF ME>がものすごくいいです。坂本さんの声も歌唱も、また日本語訳詞も素晴らしくて、もう1曲目から涙でした。オーケストラは舞台左右に段になって並んでいて、こちらもブロードウェイの音よりよかったように思います。
 約9歳のリトル・ピーター(ダブルキャストでこの回は松谷嵐さん)が登場。ごめんなさい。やっぱりどうしてもブロードウェイ版(僕は2003年の9月と11月に2度鑑賞)と比べてしまいます。ブロードウェイのミッチェル君は、プリプリでキビキビした動きでもう観客は大喜びなんですが、今回のこのピーター少年は歌やセリフ、演技はとってもいいものの、踊りに迫力がなくて…。ピアノの上でタップを踏む場面なんかもヨロヨロしてて、観てるこちらが不安になりました。こんなピーターなら評判にならないって!舞台上の酒場客が、「スゴイ!」って感心する場面にまったく説得力なし。本当ならここは最初の盛り上がる場面なんですけど…。それとこれに先立つ、お爺ちゃんに物マネして見せる場面は‘アン・ミラー’から‘ジンジャー・ロジャース’に変更されてました。これは日本ではアンよりジンジャーの方が知名度があるからだと思われますが、変更の甲斐なく、このシーンでも観客は無反応。だって踊りが…。ここだけでなく、この日本版全体を通して言えることは、ブロードウェイ版で(主に笑いで)盛り上がる場面がことごとくし〜ん。痛かったです。だって面白くないもん。やっぱり演出家が日本語がわからない人というのは問題アリじゃないでしょうか?演じる方の間の取り方もダメかも?ブロードウェイ版は笑いが絶えないんですがね…。
 この後、遅れて入って来た客の、客いじりがあるんですが、これもどうなんでしょ?この客いじりは、実際のピーターがやっていたことじゃなくて、ヒュー・ジャックマンがブロードウェイ版で、一年かけて作り上げたピーター像。ヒューが彼自身のピーターを作り上げたことはとても素晴らしいのですが、それを日本版でもそのまま安直に持ってきてるみたいであまりいい印象はなかったです。もちろん、もともとこの日本版も、ブロードウェイ版のヒットがあったから企画されたものでしょうけどね。ヒューと同じように坂本さんに「初めの着替えには間に合いましたから」って言われても…(どうしよう…汗)。結局、ピーター・アレンを演じるのではなく、日本版はヒューのやったピーターをなぞってるだけなのかという気がしました。でもこれも仕方ないことでしょうかね。日本版の公演はたった20数回だけ。ヒューがプレビュー(試演)で演じた32回にさえも満たないし、日本版出演者の準備期間も2ヶ月程かなと思うので、それらを考えると健闘しています。
 制作側も9歳のピーターだけではやっぱり弱すぎると認識していたのか、日本版には14歳のピーター(西川大貴さん)が別人で付け加えられています。このヤング・ピーターのタップは本当に見事で、もう彼に目が釘付けでした。リトル・ピーターの一人称は‘僕’でしたが、このヤング・ピーターと大人のピーターが最後に一緒に歌う<俺の名前にライトを/WHEN I GET MY NAME IN LIGHTS>からは一人称は‘俺’になっていました。オネエさん入ってたピーター・アレンが‘俺’ねぇ。
 次のアレン・ブラザーズの<ラブ・クレージー/LOVE CRAZY>は、ブロードウェイ版と振付がほぼ同じだと思われますが、アンサンブルの衣装が夏の海岸風になっていて、男の子はみんな半ズボン。最後のピーターとクリスのキメのポーズでは、ふたりはピーチ・ボールを受け取って両手を挙げます。こういったアップテンポの曲では、日本語歌詞が全体的に聞き取りにくかったです(やっぱりピーター・アレン・ファンの僕は歌詞が一番気になるんです)。ここのコミカルな振付にも、ピーターがカメラに迫る場面でも笑いはありません。
 香港でジュディとピーターが出会う場面では、ブロードウェイ版では、ラウンジの客がテーブルに座っていたのに対し、日本版では女性客は皆ロング・ドレスを着ていて、ペアの男性と優雅に踊ります。鳳蘭さんのジュディですが、ごめんなさい、正直に言わせていただくと、全くダメです。僕はジュディの物マネをしろとは言っているわけではないんですが、ジュディという複雑な役作りに完全に失敗してると思いました。ジュディはもちろん、汚い言葉も使ったと思いますし、脚本も日本語に訳しただけなのかもしれませんが、鳳さんのジュディ、下品すぎ。それにうるさすぎて過度にヒステリック。単なる迷惑なオバサンになってます。歌唱は圧倒的だし素晴らしい部分もあるのですが、それは鳳蘭としてのもので、ジュディじゃありません(キッパリ)。ジュディはもっと神経質で、もろい部分もある人だと思います。鳳ジュディは、自殺未遂して‘15時間も病院で意識不明だった’人には全く見えないのです。外にエネルギーを放出しすぎで、がなりすぎ、殺しても殺しても死なないような人ですよ。ブロードウェイでジュディを演じたイザベルさんは、手の動かし方や神経質に髪をさわるしぐさなどで、見事に情緒不安定なジュディを表現してましたが…。まあ、日本とアメリカじゃまったくジュディの認知度が違いすぎるから仕方ないんでしょうか?もともと小柄なジュディを大柄な鳳さんが演じているのに、それに加えてあんなに生命力溢れたジュディになってしまって…どうすんねん!鳳さん、ジュディの映画観たことあるんでしょうかね〜(大いに疑問)。演出家のフィリップに鳳さんは「あなたは抑えて下さい」と言われたそうですが、これでホントに抑えてるんか?
 続く、ピーター、ジュディ、クリス、マークの4人で歌い踊って、香港の夜景からニューヨークの夜景に場面が変わるシーンは、このミュージカルでも僕が一番好きな、わくわくするシーンなのに、日本版では同じ振付でも、どうもダンスも歌もスッキリしない、悲しい出来でした。でも、マーク役の後藤ひろゆきさんて、パンフレットでお顔見ると男前ですね。
 鳳ジュディが一番ダメだったのに対し、僕が日本版で一番いいと思ったのはライザ役の紫吹淳さん。ダイナミックかつ繊細なライザが、大人にそして大スターになっていく過程を、美しく惚れ惚れするようなカッコよさで演じていらっしゃいました。すごく素敵でした。紫吹さんの存在は今回初めて知りました、これからも注目したい方ですね。
 ジュディとライザがトランプをしているところに、ピーターがカクテルを持って来るシーン。まず、ジュディが大口でガハハ大笑いする場面、違う違う…。これは鳳さんの地の姿では?もっと違うのは、ピーターのジュディに対する言葉使い。恩師に「アンタ」って何???もちろんピーターはジュディにズケズケ物は言ったと思いますけど、それは二人の間に愛情や信頼関係があったからこそ、成り立ったものでしょ。ピーターはジュディのことを大切に思っていただろうし、尊敬もしていたと思います。ここでのピーターはジュディを単に利用してるだけにしか見えませんでした。ジュディは色々問題はありましたが、もっと傷つきやすくかわいい部分や、人に守ってあげなければと思わせる部分もある人だったと思います。鳳ジュディたら、ライザが面倒をみる必要のないほど逞しい人で、大げさで完全に勘違い系のヤなオバサンみたいなんです。
 このジュディとピーターの演じ方のまずさが、後々にも影響しています。この場面でジュディが機嫌が悪いのは、ピーターとライザが憎いからではなく、自分が一番重んじられるべき(ジュディの主張)なのに、そうされていないからでしょう。その後の二人の結婚話を聞いての「ハートは金星、チンチンは火星」ていうセリフも、オリジナルの英語ではSometimes your heart is in Venus, but your penis is on Mars.でVenus(ローマ神話の愛と美の女神ヴィーナス/金星)とMars(ローマ神話の戦の男神マルス/火星)という二重の意味をかけてあって、なおかつVenusとpenisが韻を踏んでるから面白いのに、この日本語では単にお下劣に聞こえただけ。‘チンチン’てねぇ。せめて‘下半身’ぐらいの表現にして欲しかったです。めちゃ寒い場面でした。それにここでの鳳さんのセリフの言い方が、やけに陰にこもったカンジで気持ち悪いんです。そして、ライザと結婚するなら「もれなく私がついてくる」というセリフでトドメを刺したって感じ。これで完全にジュディは、単なる厄介者にすぎないってことになってしまいました。ジュディは‘アメリカの宝’なのに!。実際のジュディを知らない人が、この鳳ジュディの印象を持って、ジュディの出演映画を観たら、あまりのイメージの違いに驚くことでしょうね。
 こんな有様だから、その後ジュディが死んだと報告されても、一向に悲しくないんです。むしろあんながさつな女がそう簡単に死ぬかよ!とか、死んでせいせいしたわ!とか思わせてしまいます。ジュディの人生の孤独や哀しみなんてまったく想像すら出来ない日本版のジュディ描写、どうにかしろよな!ジュディが死んだ後、ピーターが「彼女は悪夢のような女でした。素晴らしい悪夢…」(ブロードウェイ版ではMaybe she was a nightmare, but what a nightmare...)と言うのですが、ここで強調されるべきなのは、‘素晴らしい’というところだと思うのですが、鳳さんのジュディはほんとに単なる悪夢。これまでにジュディとピーターの関係がちゃんと描かれてもいないのに、続いて、ピーターがジュディに捧げて曲を書いたと、告げられても全く意図不明。<静かに/QUIET PLEASE, THERE'S A LADY ON STAGE>だって?鳳蘭さんのジュディなら、自分で叫んで観客を強引に黙らせてしまう事すら出来るでしょうね。こんなジュディの亡霊が途中から現れて歌に加わっても感動も何もありません。その後、ストーンウォールの叛乱の報告がありますが、その前にジュディの口から「これまでさんざんオカマの惑星の間を行ったり来たりしていた私」なんて、ゲイをバカにしてるようにとれる発言が出るのも信じられません。ジュディはゲイ・アイコンだったんですよ。やっぱり演出家が、日本語脚本をちゃんとチェックできないと、こういうことになってしまうんでしょうか?
 気を取り直して…。<コンチネンタル・アメリカン/CONTINENTAL AMERICAN>のシーンは、ブロードウェイ版とはかなり違います。踊りを増やしてアンサンブルの方の見せ場を作っています。ライザにワイルド・パーティ現場を見つかってしまった後の、ピーターとライザのやり取りは、日本版ではなんとなく激しすぎる気がしました。ヒューのピーターはどんなことをしても憎めない仔犬のような可愛さがあるんですが、坂本さんのピーターってちょっと自分勝手すぎ。もっと、さみしくてつい…という雰囲気を出せればいいんですが。これでは、ライザをさんざん利用してるだけみたい。ヒューのピーターがやんちゃな少年風なのに対し、坂本ピーターは、どこかホスト風、ヒモ風なんだわ〜。
 <音楽を聴くのが大好き/SHE LOVES TO HEAR THE MUSIC>、このシーンは、日本版の中で僕が一番気に入った場面です。背景にはライザのアルバム「LIZA WITH A "Z"」のカバーのイラストがそのまま使われています。ブロードウェイ版よりもダンサーの数も多く、より豪華な見せ場になっています。アンサンブルの衣装も全然違ってて、みんなが光る赤い手袋をしていて、手首の動きを強調したやっぱりボブ・フォッシー風振付を見せてくれます。紫吹さん、かっこよすぎ!ピーターがジュディの死を知らせた後の繊細な演技もとてもいいです。アンサンブルの踊りも素晴らしかったです。‘音楽を聴いていればご機嫌、耳の良さならば町一番’っていうちょっと変な日本語歌詞も、面白いかも。ただ歌詞の一部が‘どんな歌詞だろうと、かまわない’って聞こえたんですが、もしこれが正しいのなら、ちょっとライザ、おバカみたいに思えるのですが…。
 この作品で一番ガッカリしたのは、ピーターがライザにジュディの死を知らせに来て「君の姉さんから連絡を受けて…」と言うセリフ。これには凍りつきました。ライザの‘姉さん’って、‘妹’のローナ・ラフトの間違いじゃん。英語ではどちらもsisterだからって、これはヒドすぎ。こんな基本的なこと、それに、もし姉か妹かわからないのなら調べればすぐわかることまで、いい加減でどうするの?大勢いるキャスト、スタッフの誰一人もこんなミスに気づかないって?そんな人たちで作られた日本版って一体何なのでしょう?それともこれはどうでもいいことなんですか?
 <別れるものなら/I'D RATHER LEAVE WHILE I'M IN LOVE>の紫吹さんの歌もすごくいいです。日本語の歌詞がついたのを聞くとまた新鮮で、改めてやっぱり名曲だと思いました。この歌のシーンで、ライザがピーターに「あなたはとってもいい人…」って言うのですが、どの辺がやねん?って思いました。今までのピーターを見ていて、全然‘いい人’の印象はありません。やっぱり坂本さんのセリフの言い方がちょっと問題かも。声自体や歌唱はすごくいいのに、惜しいですね。
 次の<ここいら辺りの男とは/NOT THE BOY NEXT DOOR>ですが、この日本語歌詞、かなり上から周りの人を見下したような印象がありません?ただもう昔の自分じゃないんだっていうので充分だと思うのですが…。そこいら辺りの男が怒ってきそう。

 第2部に入って、<バイ・コースタル/BI-COASTAL>。日本語歌詞がかなり苦しいかな。‘男と女、どちらが好みか良くわからない’って、どうよ?(笑)。この場面での、ピアノの上に脚を上げたり、ピアノに飛び乗ったりのピーターのトレードマークのアクション、ヒュー版と比べるのは余りにも酷。ヒューは、西洋人の中でも特に小顔で、ずば抜けて手脚が長いスタイル抜群の人であり、そんな彼が舞台上でエネルギーを爆発させていたのですからね。ピーター本人は顔もスタイルも良くないからヒュー程のレベルは求めていませんが、坂本ピーターにはもう少しハジケてほしかった気もします。その後の客いじり(お客さんを舞台に上げて一緒に腰を振る)は、坂本さんのファンにはとても楽しいものでしょうが、僕はあんまり…。見ていて赤面してしまいました。ブロードウェイとやっぱり客層違うのね。
 続いて登場のグレッグ役、IZAMさんですが、先に観た方々から聞こえてくる評判がめちゃくちゃ悪く、心配していたのです。でも、実際僕が観た舞台ではそんなに悪くありませんでした。歌もセリフもまあまあ。立ち姿は坂本さん以上に舞台栄えしてるかも。ただ、パンフレットの中で語っている「僕自身はノーマルなんですが…」には激ムカッ。言葉の使い方間違ってるって!そういう時は‘ノーマル’じゃなく、「僕自身は異性愛者ですが…」と言えよな!!こんな意識の人がグレッグを演じてるとはね(泣)。
 <ありきたりの男だけれど/IF YOU WERE WONDERING>ですが、さっき<ここいら辺りの男とは>自分は違うと歌っておきながら、こんどは自分は‘ありきたりの男’なんですか?(爆)。一体どっちやねん!う〜ん、この歌の最後のフレーズ‘男だけれど、どこかが違う〜’がいまだに頭から離れません。もう僕のテーマ・ソングにするしかないかもぉ(笑)。この歌の後、ピーターがママにグレッグとの出会いを報告するシーンは、ほんとうなら名場面になるはずでした。でもママの問い「彼女の名前は?」の後で坂本ピーターが答える「グレッグ」のタイミングが悪く(遅すぎぃ)て、この二人の会話が間延びしてまったく盛り上がりませんでした。今さんが演じるママ・マリオンは、作品全体を通してブロードウェイ版よりも前面に出ている印象。演技もセリフも歌もよかったです。出演者の中で一番聞き取りやすい声でしたしね。
 <確かだぜ、ベイビー/SURE THING BABY>の場面、マネージャー(エージェント)のディー役の団さん、声や演技に迫力あり、作品に重みを与えています。昔の美男モデルさんがいつの間にこんな変身を遂げられていたのでしょう。続くピーターの<確かだぜ、ベイビー>の場面で話される「アカデミー賞を2度受賞」というのは、脚本の誤訳ですね。ピーターのオスカー受賞は1回のみです。アカデミー授賞式に2回出たと、ここでピーターは話しているんです。
 <歴史は繰り返される/EVERYTHING OLD IS NEW AGAIN>のニューヨーク・ラジオ・シティ・ミュージック・ホールのシーンは、ブロードウェイ版より良かったです。ラジオ・シティは青山劇場(1200人収容)の5倍の6000人を収容できる大ホールですよ〜。ブロードウェイ版ではロケッツは数人の女性ダンサーと鏡、あとは絵を使ってかなりアッサリ済まされてしまってましたが、日本版ではちゃんと大人数のライン・ダンサーズが復活。オーストラリア版と同じく女装した男性も多く含まれていました。でもあまり綺麗で、遠くから見ると男の人とは気づかなかったかも…。身長180センチ以上もある男性も中にいたんですよね。また、ピーターと女装の男性ダンサーだけを集めて踊るシーンなんかあっても、面白かったかもしれませんね。ロケッツが一列に並んで踊っているせりが持ち上がり、とても華やかなシーンが展開され大変盛り上がりました。やっぱりここはこの作品のハイライトでないとね、ピーターのキャリアのピークの時点ですから。
 <歴史は繰り返される>の日本語歌詞ですが、Don't throw the past away / You might need it some rainy day (過去を捨ててしまわないで/いざという時に必要になるかもしれないから)というニュアンスが生かせればもっとよかったと思うのですが、それでもこの‘雨の夜更けは、思い出に浸ろう’という日本語歌詞は歌いやすいし、独特の雰囲気があってとてもいいのではないでしょうか?ロケッツが加わった歌唱と共に気に入りました。
 <心込めてアイ・ラブ・ユー/I HONESTLY LOVE YOU>、この曲を歌うブロードウェイ版のグレッグ、ジャロッドさんは、声に色気があってとってもいいんです。それもテキサス出身という役なので、ちょっとカントリー風味も付け加わっていて、イケてました。自分をノーマルと主張するIZAMさんの歌唱は、後半が少々グラついたけど、予想ほどヒドくありませんでした。不器用なくらい頑固なグレッグが、初めて自分の素直な気持ちを告白する歌なので、あまり綺麗に歌わなくても、この程度でいいんじゃないでしょうか?(ただ、IZAM、異性愛者と言えよな!)。
 ピーターの父親ディックの自殺のシーンは、やっぱり涙涙なんですが、日本版では、ディックは影ではなく、舞台の中央上方の台に後姿で登場して頭をぶち抜く演出になっていました。続いてママによって歌われる<泣かないで/DON'T CRY OUT LOUD>ですが、日本語歌詞では、この歌の一番いい部分 And if you should fall / Remember you almost had it all (もし万一失敗したとしても/ほとんど出来ていたんだということを思い出して)という部分がなく、単に‘強く生きなきゃダメ’みたいな、あまり説得力のない?‘励ましソング’になってしまっているのが残念。成功した/失敗したというような内容の歌は色々あるかもしれないけれど、‘もう少しだった’という微妙な状況を歌っていることこそ、この歌が他のものとは違って傑出している部分だと僕は思うのです。それに、やっぱりこの部分がこの歌の‘救い’でしょう?だから、ここをうまく日本語詞にも入れて欲しかったです。
 <旅立つ前に今一度/ONCE BEFORE I GO>、はっきり言うと、これはピーターの書いた曲の中では、まあまあという程度ですね。ピーターの歌がいいのは、ある感情を歌っていても、どこかさめた視点、ちょっと皮肉な見方があるところだと思うのですが、この曲は少し感傷に流されすぎの気がして、あんまり…。それにかなり大げさで、まるで<マイ・ウェイ>みたいな感じしません?実はブロードウェイのプレビューの段階で<TENTERFIELD SADDLER>がカットされてしまって、この曲に変更されたこと自体、僕はずっと疑問なんです。ブロードウェイ版でも日本版でも、ピーターが一人舞台中央に立って両手を広げて朗々とこの曲を歌い上げる演出なんですが、この場面、どうも間が抜けてて(おまけに‘いかにも’だし)、好きじゃありません。‘ここで感動してください!’って押し付けられてる気がするんですよ。ピーターはピアノ・マンだったのだから、ピアノで静かに<TENTERFIELD SADDLER>を歌う方がさりげなくてずっといいのに…。でもやっぱり一般向けには<ONCE BEFORE I GO>の方がわかり易いのでしょうかね。それとも、ピーターの人生物語としてなら<TENTERFIELD SADDLER>でしみじみと、ひとつのミュージカル・ショーとして見るなら<ONCE BEFORE I GO>の派手さで、というところでしょうか?
 こういったことに加え、<旅立つ前に今一度>の日本語歌詞にある‘強く生きなければ…’部分で、さらに僕は一気に冷めてしまいました。この前の<泣かないで>にも同じような箇所があったけど、どうぞ勝手に強く生きていってください!僕は、握りこぶしで頑張りますみたいな、説教くさい歌詞はどうもね。というわけで、今後あるかもしれないオーストラリアでの再演の際には、ぜひまた<TENTERFIELD SADDLER>を復活させてもらいたいもんです。<旅立つ前に今一度>での坂本さんの歌唱は悪くないんですがね。
 そしてフィナーレの<世界はリオ/I GO TO RIO>、ブロードウェイ版ではプレビュー段階でカットされてしまったピアノが、日本版には登場。主な出演者が一人一人ピーターと踊るところは、ブロードウェイ版の方が楽しそうでした。この時の白い衣装の紫吹さんがものすごく美しかったです。ガラスのような美しさというのでしょうか。ピーター・ママの今さん、個人的には、フィナーレでのあの腰振りはいただけません。これ一つをやりすぎたため、今まで演じてきたママのイメージが崩れてしまいました。先に観ていた人から、“ピーター・ママがアホっぽかった”と聞いていたのですが、このフィナーレのことを言っていたのでしょうね(納得)。フィナーレの背景にブロードウェイ版のピアノの鍵盤をデザインした階段はありませんでしたが、日本版では舞台が数段にせり上がり、ピーターは一番上の段にあるピアノの上でマラカスを持って、最後の「リオ!」の掛け声でポーズでした。



 僕が一番心配だった、日本語歌詞についてですが、英語の歌詞を日本語にする場合、もとの歌詞のすべての内容、微妙なニュアンスを、限られた字数で翻訳するというのは不可能だと思います。時間的制限もあるでしょうし…。それらを考慮すると、今回の忠の仁さんによる日本語詞は、想像していたものより、ずっとよくて、楽しませていただきました。
 主演の坂本さんは、今回の日本版の制作発表があるまで、僕は名前もお顔もまったく知らなかった人ですが、声、歌唱ともとてもよいと思いました。演技の部分ではピーター本人を感じることはありませんでしたし、ゲイやバイの男にも見えませんでしたが…。坂本さんのオネエさん演技、そこの部分だけとってつけたように浮いていました。まあ、ピーター本人は感じられませんでしたが、ヒューの演じたピーターなら感じることは出来ました(って、脚本も振付もほぼ同じだからあたりまえか?)。準備期間も、上演期間もオーストラリア人であるピーター本人に対する思い入れも違う、ヒューと坂本さんは比べられませんが、もし、坂本さんもブロードウェイで上演されたのと同じぐらいの回数(プレビュー32回、本公演364回)演じれば、きっと彼独自のよい点を生かしたピーター像を確立できることだと思います。ただ、僕が観た段階では、その場その場をこなすのが精一杯で、作品全体を通してのピーターという一人の人間が強く伝わってくるということはまだありませんでした。なんせ、ヒューのピーターより大きい舞台で、またヒューより長い時間(三時間弱)舞台に出ずっぱりですからね。余裕なんてそう簡単に出てこなくてあたりまえです。でも、お若いのにホントによくやってると思いましたよ。ただ、評判がいいらしい彼の踊りに関しては、あんまり印象に残っていません。
 最後に言うと、僕にとって一番大切なのは、この作品を観た人が、今まで知らなかったピーター・アレンという人間の音楽に興味を持って、これからピーターの曲を聞いてくれることなんですよね(お前、ピーターの何なのさ?)。日本版ではピーター・アレンはもはや単なる素材でしかないのかもしれませんが、こういう風にして徐々にこのミュージカル作品が、これからひとり歩きしていくのも、いいのではないかと思いました。ほら「ファニー・ガール」は実在したファニー・ブライスの話だけれど、現在この映画化作品を見る多くの人は別にファニーの話として見ているわけではないでしょう。やっぱりバーブラの主演作、出世作として見ているわけで…。「ファニー・ガール」と違うのは、幸運にもこの「ボーイ・フロム・オズ」では、使われている曲がすべてピーター作だから、このミュージカルがこれから先、どれだけ色んな人によって再演されようと(そんなことあるんか?)、ピーターの書いた曲だけはそのままずっと残るだろうというところ。今回、坂本さんの歌うピーターの曲がとてもよかったのと、脇を固める方々の好演、アンサンブルの華やかさもあり、(坂本さんの演技部分は置いといて)僕はかなり満足しました。願わくは、日本版のキャスト盤CDを発売して欲しいところです。だめなら<この俺の別の顔>1曲だけでもぜひ彼のこれからのレパートリーに加えていただきたいですね。