Kontaの歓びの毒牙

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ユーミンが語る’私のフランソワーズ・アルディ’

アルディ聴けばアナタもいい女(大ウソ

 先日、ユーミン(荒井由実/松任谷由実)の「水の中のASIAへ」のコンサート・ビデオ(タイトルは「1981 YUMING VISUAL VOLUME 1」)を久々に見たら、そのなかでユーミンが「私のフランソワーズ」を歌っていて、これがものすごくよかったんです。ユーミンの'音楽に対する純粋な姿勢'みたいなものが伝わってくるように思われて…(僕の錯覚?)。それで、フランソワーズ・アルディ(Francoise Hardy)についてもちょっとネットで調べていたら、まあなんとユーミン、アルディの1974年のアルバム「夜のフランソワーズ/ENTR'ACTE」ASIN:B000056470 のライナーノーツも書いていたんですね(正確にはインタビューをテープ起ししたものですが…)。これは全然知りませんでした。この「夜のフランソワーズ」のLP、僕は今までに3枚買ってるんですが(輸入盤が2枚、1977年発売のワーナー・パイオニア日本再発盤が1枚)、ユーミンがライナーを担当しているのは1975年発売のCBSソニー日本初盤(ECPO-22)ということで、4枚目を買うはめになってしまいました…(でも嬉しい)。
 そして、そのレコードを手に入れてからというもの、僕の中ではちょっとした第3次アルディ・ブームになっていて(ブームは10年ごとにやってくるみたい)、ここのところ、持ってるLPやCD(数えたら全部で35枚ぐらいあった!)をとっかえひっかえ聴いたり、雑誌に載った古いアルディのインタビューを読み直したりしています。アルバム毎にかなりサウンドが変化しているアルディですが、声は昔からほとんど変わっていないようですね。やっぱり思索的で内省的、いつの時代もさり気ない魅力で、ひっそりとこちらに忍び込んできます。もちろん、あの容姿の美しさが占める割合も大きいと思いますけどぉ(最近はちょっとヴァネッサ・レッドグレイヴ似?)。
 ところで、アルディには関係ないですが、ついでに参考までに書くと、ユーミンが他にライナーノーツを書いているアルバムは、僕が持っているレコードでは、プロコル・ハルム(Procol Harum)の1977年にキング・レコードから出た日本盤「ソールティ・ドッグ/A SALTY DOG」ASIN:B00005J8KK、グレース・スリック(Grace Slick)ASIN:B00005EHNV の1980年にRVCから出た日本盤「夢/DREAMS」があります。


  • アルディ1996年来日時の、ユーミンとの対談記事を見つけました!


 雑誌「フラウ/FRaU」1996年10月22号(No.123)の63頁から68頁のカラー全6ページです。アルディとユーミンの並んだ写真がププッ(笑)。(追記:2007年1月27日)


こちらにアップしました:

http://d.hatena.ne.jp/KONTA/20120120



 以下の文は「夜のフランソワーズ」のライナーノーツからの抜粋です。



 私が初めてフレンチ・ポップスに興味を持ったのは、中学の二年ぐらいの頃、横浜のさる雑貨屋さんによく遊びに行っていた時に、その店にジャケットのないレコードがあって…(それは今になって考えるとミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff)のレコードでその中に「ラース家の舞踏会/LE BAL DES LAZE」ASIN:B00006HBCJ が入っていたと思います)。その頃、私はシャンソンなどという音楽は馬鹿にしていましたが、それを聴いてなかなかいいものだと思い、それからは映画音楽を通してミシェル・ルグラン(Michel Legrand)や「男と女」ASIN:B000657LU6ピエール・バルー(Pierre Barouh)、そしてセルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg)などを聴き始めました。アルディを知ったのはわりと新しく「さよならを教えて/COMMENT TE DIRE ADIEU」ASIN:B0000B09WK からです。最近になってフレンチ・ポップス、フランスのニュー・ミュージックで私が気に入ったのは、フランス人のサンバへの感覚です。ブラジルのサンバが持つ太陽の下の強烈なセックスという感じは、ちょっと肉食的で追いついて行けない感じがあるのに対して、フランス人のサンバは事後の倦怠感というか、さりげないところがあって私は好きです(もちろんそんな経験はまだないけれど…)。夏の海岸で赤い夕暮れの中、熱い身体を冷たい風が包む時の感覚が、フランス人のサンバにはあると思います。アルディもサンバ調の音楽を歌っている時が私は一番好き。ASIN:B000064PPY

 アルディの担当ディレクターの高久(高久光雄)さんも言っていましたが、日本にはアルディ・マニアがいるらしくって、私が「私のフランソワーズ」ASIN:B00005GMFN を歌っていることに対して文句が来たりします。私にだってアイドルはいるのです。でもアルディ・マニアがいることは、彼女のアルバムを聞いていれば納得できます。アルディには私生活を感じさせる音楽があり、クールで神秘的なアルディがたまらなく好きという感じが私にもわかります。私はミュージシャンという立場から、仕事として聞く音楽と、夜ねる前とか朝めざめた時などに聞く音楽があります。アルディは後者の音楽であり、私の好きな世界で聴き、女として憧れる世界を持っています。そのことはフランスの女の人に対して言えることかもしれません。アメリカの女の人は骨太でガッシリとしていて、逞しい感じがして私は体質的に嫌いなんです。フランスの女の人は、私のイメージだけど、ファッションに気を配って自分を美しくする努力や計算があり、美しさを演出しているところが好き。アルディもそんな気がします。曲や詞を創るとき、女を女らしく伝える、時に男の人に女らしさを伝える時、本当の女をさらけだしてはいけない、そこにテクニックを必要とすると思うの。アルディは、それを心得ているという気がします。それはアルディ自身というよりはスタッフを含めて、アルディの女としての魅力をオブラートにつつんで、より素晴らしく、わざとらしくない感情で表出していると感じるのです。

 アルディの女としてのあり方を考えると、21才の私は、女としての節を一つ位しかくぐり抜けていないと思うけど、アルディは四つ位の女としての節を通り過ぎて来たと思えます。その一つ一つの節が彼女のレパートリーとなっている気がするの。でも29や30才の女の人が全て四つやそれ以上の節をくぐり抜けて来られたか…とは思えない。一つも節をくぐり抜けずに30才を迎える女の人もいれば、女としての転換期にその節をくぐり抜ける毎に、その魅力を備えていく人もいると思うの、だからやっぱりアルディは素敵な人だと思う。アルディは自分に起こった出来事を一つ一つの魅力とした人だから。

 こういう風に言ってくると私もアルディ・マニアぽくなって、私生活を詮索するように思われるけども、私はそういうのは嫌い。アーチストの持つ虚像と実像の中で、アルディの持つ世界を、そのまま素敵だなと感じて、捉えて行けたら幸せだと思います。

(この文章は荒井由実さんのテープ・インタビューから構成しました。1975年)


2019/03/02追記:

佐藤剛という人が 2018年10月19日 の

「私のフランソワーズ」~青春期のユーミンにとってフランスの香りだったフランソワーズ・アルディ

という記事で、私のこのブログ記事の引用文をコピーしてます。


Yumi Arai 1972-1976

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  • アーティスト:荒井由実
  • ユニバーサル ミュージック (e)
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